小説『アイスリンクの導き』第7話 「再デビュー戦」

『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載第7話

 岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。

 今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。

「氷の導きがあらんことを」

 再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第7話 再デビュー戦

 夏真っ盛り、星野翔平は神戸で行われる大会にエントリーしていた。和牛の世界的ヒットで財を成した神戸の精肉店がスポンサーになった大会だった。世界王者の三浦富美也は出場しなかったが、グランプリファイナル王者、全日本王者、カルガリー五輪金メダルの飛鳥井陸は出場することになっていた。男子シングルでは日本トップ選手、30人が参加して競う。

 翔平は、調整のスピードが急速に鈍化していた。3回転までの精度はすぐに戻った。しかしトリプルアクセルと4回転ジャンプは、まだ試合で使うのに躊躇していた。

 そんな折、師だった波多野ゆかりの夫から「妻が生前に書いていたものを受け取ってほしい」とノートが届いていた。日々のスケジュール帳だったが、病室ではメモページを遺書の下書きにも使っていたという。その中に、「10年後の翔平へ」と題した文章があった。これは、清書する前に力尽きたのでは、ということだった。

 そこで翔平が特別にもらい受けた。あれから10年を迎える偶然もあった。試しにスケジュール帳を開くと、見慣れた筆跡が目に入ってきた。

「翔平がスケートをする姿は、やっぱりいい!! いつまでも、いつまでも見ていたいと思う」

 競技会での感想が書き込んであった。その一行を読んだだけで、翔平は胸が熱くなり、波多野に肩を触られた気がした。今の自分の決断が肯定された気分になった。

 だから、「10年後の翔平へ」のメッセージはまだ読まないことにした。復帰することを決めた以上、そこからは茨の道だろう。ブランクをどこまで取り戻せるかわからないし、4年でスケート界そのものが進化を遂げ、惨めな結果になる可能性だってある。膝は爆弾を抱えているようなもので、常に痛みとの付き合いで、いつ思うように動かなくなるかわからない。

 甘えているようだが、最後に助けを借りることにした。スケジュール帳は、引き出しの中にしまった。

 朝9時に会場へ入ると、門には報道陣が集まっていた。翔平は足早に人垣をくぐり抜け、選手の控室に入った。抽選で第1グループの最後に入っていたから、すぐに着替えてアップに急いだ。

「今日はよろしくお願いします!」

 若い選手たちが一人一人、駆け寄って挨拶しに来た。4年のブランクで、対戦経験のある選手は一人もいなかった。

「一緒に頑張ろうね」

 できる限り、緊張させないように答えた。その中の一人は、お辞儀しながら差し出してきた手がかすかにふるえていた。競技会に向けて神経質になっているのか、あるいは自分に対する緊張か。どうにかしてあげたかったが、かけるべき言葉のタイミングを失ってしまった。大会に飲まれているようで心配になったが、自分のことで他をいたわる余裕はなかった。

 少し気づまりがして、裏手の通用口から外へ出た。コンクリートにマットを敷いて体をほぐす。ストレッチしながら、筋肉が疲れていないか、ハリを失っていないか、腱や関節は良好か、を一つひとつ確かめた。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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