小説『アイスリンクの導き』第18話 「取得と喪失」
『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載第18話
岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。
今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。
「氷の導きがあらんことを」
再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第18話 取得と喪失
「これは膝の内部が炎症を起こしている。ただ、どこかを損傷するまではいっていない。MRIを撮らなくても......」
ホテルの部屋、大会中は帯同してもらっているスポーツドクターの有村和也が言った。同い年だが、ベテランのような知見で信頼できる。あえて一人で診察を受けていた。コーチやスタッフがいて症状が重かった場合、やりにくくなるからだ。
「よかった、それなら続けられそうだ」
翔平は言う。同年代だけに気安く話せる。
「とはいっても、医者の立場からすると、続行は勧められないよ。一般の方だったら、安静が必要と伝えているレベル」
有村はため息をつきながら言った。アスリートの事情も十分に理解していた。
「だよね。ただ、競技を続ける以上、だましだましのところはあるからさ。無理だけはしないようにするけど、無理しないと勝てないし、自分も満足しないっていうのが問題なんだけど」
翔平は本心を言った。
「自分をよくわかっているね、さすが」
「まあね。二度目の現役生活だし」
「軟骨もほとんどなくなっているから、いろんな痛みの要素が考えられるけど、少なくとも前十字靭帯の心配はないし、内側側副靱帯も緩んでいない。過度の負担による炎症だろう」
「その診断だけでほっとします」
「ただ、さらに疲労が蓄積し、大きな負荷がかかるようだと、あらゆるアクシデントが起こる可能性が高まる。それは覚悟しておいて。やはり、フィギュアスケーターはどうしても右足だけに負担がかかる」
「気をつける、と言っても、どうしようもないんだけどね。とりあえず、アイシングを続けます」
「それにしても、すごい得点を叩き出したようで。テレビの実況も興奮していたよ。ネットニュースも持ちきりだし」
有村は話題を変えるように言った。
「そうだ、訊きたいいことがあったんだよ。医学的には、領域やゾーンに入るっていうのは本当にあるの? 今日はその感じがして、なんか信じられないほど五感が研ぎ澄まされた状態になっていたんだ」
「医学的に証明されているよ。脳内の活性化で、未知の物質が体内から出るのか、全力集中で体が自然に動くようになることがあるらしい。それも可動域を超えて。気分がハイになって、動体視力や反射神経も異様に高まる。ただ、あくまでトップアスリートのように体をとことん動かしてきた人だけに、偶然的に起こることだっていうけどね。成立条件が複雑で、なかなか検証しにくい」
「なるほど。僕も再現できるわけではないから。でも、その予感みたいなものはあって。今日は6分間練習から、ゾーンの入り口の前に立っている感覚があったんだよ。それで演技終盤に、その入り口に入った、ってところで膝が痛んで」
「取得と喪失、その狭間だ。相当、体に負担がいっていたはず」
「僕も、それ思ったな」
「翔平君は、選ばれたアスリートだ。私も多くの選手を見てきたけど、なかなかその領域には踏み込めない。半ば、漫画やアニメのような世界だから」
「たしかに、漫画の主人公の気分だ。どうなったら、そうなれるのか、わかったら、いいけど」
翔平はそう言って笑った。
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プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。