世紀の乱闘事件、野村克也の生涯唯一の退場劇... 名審判が振り返るプロ野球名シーンの舞台裏
プロ野球審判として32年、2898試合をジャッジし、退場宣告はわずか3度という名審判員の小林毅二氏。正確なジャッジを信条に、時には選手や監督の激しい抗議や乱闘の現場も経験してきた。野球の「ゲームコントロール」を担う審判の裏側や、近年導入されたリクエスト制度への見解、人間が裁くことの醍醐味まで、審判人生の重みを語る。
小林毅二氏が球審を務めていた1987年6月11日の巨人と中日の一戦 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【世紀の乱闘事件の球審だった】
── 審判として通算32年、2898試合に立ちましたが、退場を宣告したのはわずか3度しかありません。それは、ジャッジが正確だった証しでもあります。1987年、巨人のウォーレン・クロマティ選手が死球を受けた際、中日の宮下昌己投手に突進し、右ストレートを左頬に叩き込みました。その試合の球審が小林さんでした。
小林 私が2人の間に入れば止められると思ってクロマティを抑えにいったのですが、さすがに体格もスピードもまったく違って、止めるのは無理でした。両チーム総出のもみ合いになり、私は人の波にのまれて、もはや泳ぐように動くしかありませんでした。審判員は、止められないと判断した時は無理に中に入らず、外から状況を見守り、あとの処理のことを考え、誰が暴力を振るっているのかをしっかり確認しておかなくてはなりません。
── 中日・星野仙一監督は王貞治監督の左肩に手をかけ、自らの右拳を握りました。「クロマティが宮下を拳で殴ったんだ。それはダメでしょう。退場ではないか!」と言っていたと、当時の選手から聞きました。
小林 あの試合の責任審判だった柏木敏夫さんが、観客に「クロマティ退場」の事情を説明しました。たしかにもみ合いにはなりましたが、ほかに殴り合いをするような場面はなく、退場処分になったのは張本人の一人だけでした。ただ、その後は「警告試合」として再開しました。
── 王さんに対して、星野監督があのような態度をとったのは、野球界ではセンセーショナルな出来事でした。
小林 ただ、それで王監督を殴ったのなら問題ですが、結果的に拳を顔の前にかざしただけなのです。われわれ審判員に暴言とか暴行があったのなら別ですが......。
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