検索

世紀の乱闘事件、野村克也の生涯唯一の退場劇... 名審判が振り返るプロ野球名シーンの舞台裏 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 審判員はやはり冷静で客観的なのですね。

小林 審判員の仕事は、試合を円滑に進めること、つまり「ゲームコントロール」です。勝負ごとですから、勝ちがあれば、負けもある。審判員は常に中立の立場ですが、負けた側には不平や不満が生まれ、つい審判にひと言、ふた言、文句を言いたくなるもので。でも、そういう仕事を選んだのは私たち自身ですから、そこは甘んじて受け入れなくてはなりません。とはいえ、不満の矛先が審判に向かうことなく、試合が無事に終わるようにすることこそが、最も大切な「ゲームコントロール」だと思っています。

【野村克也の生涯唯一の退場を宣告】

── 2度目の退場宣告は、1998年の巨人対阪神戦での、阪神の木戸克彦コーチでした。

小林 二塁走者だった巨人の仁志敏久選手が回り込んで本塁に突入し、阪神の矢野輝弘(燿大)捕手はタッチできず、私は球審としてセーフと判定しました。その判定に対して、木戸コーチが暴言を吐いたため、退場を宣告しました。当時の監督は、巨人が長嶋茂雄さん、阪神が吉田義男さんでした。

── 3度目は1999年8月7日。阪神の湯舟敏郎投手が送りバントを決め、ヤクルトの三塁手・池山隆寛選手が一塁へ送球。二塁手の馬場敏史選手が一塁のカバーに入りました。一塁塁審だった小林さんの「アウト」のコールに、阪神・野村克也監督が暴言を吐き、退場を宣告しました。

小林 私は「アウト」だと思って、野村監督は「セーフ」だと。その繰り返しで、平行線をたどりました。

── その年から阪神の指揮を執った野村監督ですが、7月終了時点で首位に12.5ゲーム差の5位。特に7月は7勝14敗と大きく負け越し、鬱憤がたまっていたのでしょうね。

小林 そのあたりの背景について、私たち審判は関知しません。当時は違いましたけど、現在の規則で言えば、5分を超えて抗議を続けた場合は、自動的に退場になります。実際、あの時は抗議を受けている最中に、退場に値する言葉が発せられたために退場を宣告しました。

2 / 4

キーワード

このページのトップに戻る