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世紀の乱闘事件、野村克也の生涯唯一の退場劇... 名審判が振り返るプロ野球名シーンの舞台裏 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 資料によると、「バカ」と暴言を吐いたとあります。

小林 それに近い言葉はありました。退場の理由になる「審判が耐え難い暴言」の内容を公言する審判もいるかもしれませんが、私は言うべきではないと思います。

── 退場を20度も宣告した審判員がいる一方、小林さんは2898試合にも出場しながら、わずか3度だけです。正確なジャッジで「もめごと」がなかった裏返しです。

小林 いや、審判のなかには、退場をほとんど宣告しない人もいます。たとえば、野村監督のように自分の父親ほどの年齢の監督が出てきたら、何を言われても退場にさせられないことも実際あったといいます。当時の私は、経験も年齢もそれなりに重ねていました。だから今後のためにも、退場に値する暴言に対しては、毅然とした態度で臨まなければならないと思っていました。

── 野村さんは現役時代を含め、プロ生活36年目、4361試合目で初めて、そして生涯で唯一の退場を経験したようです。

小林 野村監督はそのあとも退場がなくて、結果的にあれが唯一の退場となったわけですね。

── 野村監督は、抗議が細かな監督だったのですか?

小林 野村監督ではありませんが、かつては個性的で抗議好きな監督もいました。現在は「リクエスト制度」の導入で、監督の抗議がほとんどなくなり、審判員と監督の間に接点がほとんどありません。ちなみに、野村さんがヤクルトの監督だった1992年の日本シリーズ第1戦、ヤクルト対西武戦で杉浦亨選手が「代打で延長サヨナラ満塁本塁打」を放った時の球審は、私だったのですよ。

【リクエスト制度は必要か?】

── 2018年に導入された「リクエスト制度」について、どのようにお考えですか?

小林 退場に値する暴言については、私たちはアメリカのアンパイアスクールで教育を受けてきました。しかし、先に述べたように、昔の日本の審判は我慢することも多々ありました。少し前までは審判も厳しくなり、すぐに退場を宣告することもありましたが、最近は「ビデオの世界」になったため、トラブルになるケースがほとんどなくなっています。

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