「引退したい」「まだできる」世界女王・荒川静香が迷いを抱え続けたトリノ五輪前の1年間
連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第13回 荒川静香 前編(全2回)
今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。そんな偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩があったからこそのものだろう。
2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載第13回は、2006年トリノ五輪でアジア人初の金メダルを獲得した荒川静香をピックアップ。前編は、世界選手権初制覇までの道のりとトリノ五輪前季の葛藤について。
トリノ五輪前年の世界選手権は総合9位に終わった荒川静香と当時コーチのタチアナ・タラソワ photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る
【日本人3人目の世界選手権制覇】
中学1年で出場した1994年全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、その後、同大会で史上初の3連覇を達成した荒川静香。シニアに移行した1997−1998シーズンは、全日本選手権で1歳上の村主章枝を破って初制覇し、まだ高校1年ながら1枠のみの長野五輪代表に選出され、本番は13位。この年の世界選手権にも初出場した。
翌シーズンは全日本選手権を連覇するも、世界選手権出場は村主に代表を譲る結果となる。さらにその後2シーズンも村主と恩田美栄に代表を奪われ、出場枠2枠だった2002年ソルトレイクシティ五輪も補欠にとどまった。
2003−2004シーズン、新たなジャッジングシステムが試験的に導入されたGPシリーズで170〜180点台を出して2位と3位になる。初進出したGPファイナルでは村主とサーシャ・コーエン(アメリカ)に次ぐ3位に入った。
そして、全日本選手権3位を経て出場した2004年世界選手権。直前にコーチをタチアナ・タラソワに変更して臨み、予選通過後のショートプログラム(SP)はノーミスでコーエンに次ぐ2位に入った。
フリーは、3回転ルッツ+3回転トーループ+2回転ループ、3回転サルコウ+3回転トーループなどの6本のジャンプをノーミスで決める完璧な演技を見せ、技術点はジャッジ14名全員が1位の評価。結果、コーエンを逆転して1994年の佐藤有香以来、日本人3人目の金メダル獲得を果たした。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

