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荒川静香「この4分間が集大成」トリノ五輪金メダルの演技は「不思議な感覚でした」

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第13回 荒川静香 後編(全2回)

 今年2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪では、団体戦を含め史上最多となる6個のメダルを獲得した日本フィギュアスケート。そんな偉大な功績は、これまでの日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩があったからこそのものだろう。

 2002年ソルトレイクシティ大会から2022年北京大会に出場した日本人フィギュアスケーターを振り返る本連載第13回は、1998年長野五輪と2006年トリノ五輪に出場した荒川静香をピックアップ。後編は、アジア人選手初となる金メダルを獲得したトリノ五輪での戦いについて。

2006年トリノ五輪、SP3位から逆転で金メダルを獲得した荒川静香(当時24歳) photo by Kyodo News2006年トリノ五輪、SP3位から逆転で金メダルを獲得した荒川静香(当時24歳) photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【2回目の五輪代表に滑り込み】

 新たな決意を持って臨んだ2006年トリノ五輪シーズンだったが、荒川静香の出足は決して快調とは言えなかった。

 このシーズン、年齢制限で五輪には出場できない浅田真央がGPシリーズに初参戦し旋風を巻き起こしていた。荒川は、GPシリーズの中国大会ではイリーナ・スルツカヤ(ロシア)と浅田に次ぐ3位。次のフランス大会も浅田とサーシャ・コーエン(アメリカ)に次ぐ3位となり、ポイントランキングは8位だった。

 両大会とも173点台を出す安定感を見せ得点合計ではスルツカヤと浅田に次ぐ3番目だったが、1試合優勝のある中野友加里、2位1回の安藤美姫らに遅れを取り、GPファイナル進出は果たせなかった。出場者の組み合わせの不運に泣かされる結果だったのだ。

 そしてトリノ五輪代表を手にするためのラストチャンスの大会となった2005年12月の全日本選手権。そのショートプログラム(SP)、冒頭の連続ジャンプは3回転ルッツ+2回転ループに抑える構成としたが、ノーミスの滑りで非公認ながら自己最高の68.76点をマークし、首位発進。

「今シーズンはショートでミスが続いているので、ここではノーミスをすることが課題だと思っていました。自分のために滑ろうとするとどうしても硬くなるので、今日は観ている人のために滑ろうと思い、落ち着いてできました」

 荒川はこう話し、笑顔を見せた。

 フリーでは3回転サルコウ+3回転トーループはきっちり決めたが、次の3回転フリップと後半の3回転ループ、最後の3回転サルコウが2回転になるミスが出てしまった。

「プログラムの途中で最初にフライングスピンを入れたかどうかわからなくなり、パニックになってしまいました。最後にどうしてもフライングスピンをしなければいけないというのが頭のなかにあって、最後のジャンプは3連続ジャンプにしたかったのですが、あとのことを考えすぎて失敗してしまいました」

 荒川のフリーの得点は4位の118.60点。それでも合計はSPの貯金もあって187.36点にし、村主と浅田に次ぐ総合3位に入る。五輪代表も不透明になった状況に、「今日のフリーは今までで一番落ち着きがなかった......」と表情を曇らせた。

 トリノ五輪代表の選考基準は前年の選考の持ち点に加え、このシーズンのGPシリーズとGPファイナル、全日本選手権の得点を評価するもの。代表3枠には前年の持ち点が最上位だった安藤がこの全日本6位ながらも一番手で決まり、それに続くふたりはこのシーズンの得点の比較から、「勝てる選手として評価した」と村主、荒川の順番で決定。荒川は2大会ぶり2回目の五輪出場を決めた。

「トリノ五輪は『私より若い世代が』という気持ちが強かったですが、代表に決まったからには頑張りたいです。前回の長野五輪は世界選手権も経験せずに出ましたが、今回は世界で戦える力をつけて臨めるので気持ちを引き締めて。世界と戦える力だけではなく、それを発揮できる力をつけて本番に臨みたいと思います」

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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