ホンダF1に直撃取材「どうしてこんなことになってしまった?」折原伸太郎チーフエンジニアが明かした原因は...
ホンダF1・折原伸太郎 インタビュー前編(全2回)
今年から新たにアストンマーティンと組んで、第5期のワークス活動を再開させたホンダだが、オフシーズンのテスト走行からマシンに異常振動が発生し、開幕後も完走さえままならない状況が続いていた。
それでも第3戦の日本GPでようやくフェルナンド・アロンソが初完走を果たすと、続くマイアミGPでアロンソとランス・ストロールがダブル完走。第5戦のカナダGPではアロンソがマシントラブルでリタイアに終わるが、地元のストロールは15位でフィニッシュ。まだ入賞争いをするレベルにはないが、徐々に戦える状況になってきた。
ホンダF1の現在地は? 今後の復活プランは? F1カメラマンの熱田護がホンダの現場責任者を務める折原伸太郎トラックサイド・ゼネラルマネージャー兼チーフエンジニアにカナダGPで直撃インタビューを行なった。
5月のカナダGPでインタビューに応じたホンダの折原伸太郎トラックサイド・ゼネラルマネージャー兼チーフエンジニア photo by Mamoru Atsutaこの記事に関連する写真を見る
【ふたつの原因でスタートダッシュができなかった】
熱田護(以下、熱田) レッドブルと組んでいた前のレギュレーションの時代は圧倒的な成績を残して、チャンピオンに何度も輝いていたのに、なぜ今は最後尾を走るような状況になっているのか......。ホンダファンの頭の中は、いまだにそんな疑問でいっぱいだと思います。
ホンダはF1をはじめとするモータースポーツ活動に昔からコミットし、アイルトン・セナやマックス・フェルスタッペンなどの名ドライバーとともに圧倒的な速さを示し、チャンピオンを獲ってきました。そんな姿に憧れ、ホンダの市販スポーツカーであるNSXやシビックタイプR、S660などを購入している方が多いと思います。
もちろんホンダのF1活動を振り返ると、いい時期ばかりじゃなく、ダメだった時期もあって2000年から2008年にかけての第3期は1勝しかできませんでしたが......。今季のホンダについて現場の最前線にいる折原さんから見て、どうしてこんなことになってしまったんだろうな、ということを率直にお聞きしたいと思っています。
折原伸太郎(以下、折原) 今、熱田さんが例に出していただいたシビックタイプRで言うと、これまでのタイプRには1.6リッターのエンジンが搭載されていて、すごく速くて、信頼性も高かった。そして今年から登場したタイプRには新開発の2リッターのエンジンを搭載していて、それは同じホンダ製のエンジンですが、中身がまったく違うんです。開発体制も異なります。
旧モデルのエンジンを開発した技術者が、新型モデルの開発にもすべて携わっているかといえば、そうじゃないんです。それでも前の開発体制から引き継ぎがうまくできていて、同じ技術の延長線上のエンジンだったら、おそらくこれまでと同じような性能が出ていたと思います。でもまったく違う技術で作ろうということになると、そこで試行錯誤が始まって、ゼロからのスタートになってしまいます。
それでも再スタートの際に膨大な工数をかけて開発できていれば、新しいパワーユニット(PU)がデビューした当初からいい性能を発揮できたと思います。でもアストンマーティンに搭載される今年のPU開発をスタートしたのが事実として遅かった。それに加え、レッドブルとともにチャンピオンを獲得した時に比べると、開発にかけるリソースを十分に確保できていなかったという現実があります。
結論としては開発のスタートが遅かったことと、リソースを十分にかけられなかった。大きく言えば、そのふたつが原因でスタートダッシュがかけられなかったということになります。
熱田 2021年シーズン限りでワークス活動が終了し、それ以降はレッドブル・パワートレインズに技術支援という形になり、プロジェクトが解散してホンダのエンジニアがいったんいなくなってしまったという事実は理解しています。
でも、そうだったとしても、あれだけ速かったホンダのPUがてっぺんから最後尾まで落ちてしまったわけじゃないですか。大幅にレギュレーションが変更になったとしても、その落差がどうしても腑に落ちないんです。
折原 私の理解では、やっぱりそこがF1の難しさだと思います。すべてにおいてベストがそろわないと、世界最高峰のF1ではトップに立てない。ドライバー、エンジニア、マネジメントなどすべてのスタッフ、リソース、技術や知識、そのすべてが世界で一番でなければトップに立てない。
逆にそこを少しでも怠ると、あっという間に転落するのがF1という世界だと思っています。我々は新しいシーズンが始まる前にしっかりと準備できなかったので、世界一の座を争っている場では、あっという間に転落していってしまった。そこがF1の難しさであり、楽しさでもあると感じています。
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著者プロフィール
熱田護 (あつた・まもる)
フォトグラファー。1963年、三重県鈴鹿市生まれ。2輪の世界GPを転戦したのち、1991年よりフリーカメラマンとしてF1の撮影を開始。取材500戦を超える日本を代表するF1カメラマンのひとり。
川原田剛 (かわらだ・つよし)
1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。


