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【F1】鈴木亜久里は日本人離れした有言実行の男 「30歳までにF1ドライバー」「45歳でF1チームオーナー」

  • 米家峰起●取材・文 text by Mineoki Yoneya

日本人F1ドライバー「夢の系譜」
【第2回】鈴木亜久里

◆最初から読む>>【第1回】中嶋悟

 F1──そこは、かつて日本人にとって、あまりにも遠く、まばゆい憧れの場所だった。

 異国のサーキットにひとり立ち向かった先駆者から、その背中を追い続けた後継者たちへ。日本人が一歩ずつ、執念で紡いできた軌跡は、今や揺るぎない歴史となった。

 これは、最速に魂を焦がした男たちがつなぐ「夢の系譜」である。あの日、私たちが夢中で追いかけたサムライたちの記憶を振り返る。

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鈴木亜久里/1960年9月8日生まれ、東京都板橋区出身 photo by BOOZY鈴木亜久里/1960年9月8日生まれ、東京都板橋区出身 photo by BOOZYこの記事に関連する写真を見る 人は自分の想像を超えるものに出会った時、心を動かされる。

 1990年の日本GPで日本人として初めて表彰台に立ち、当時の日本人には想像しえなかった夢を見せてくれた鈴木亜久里は、まさしく新時代を予感させてくれる存在だった。

 当時の日本人が憧れた、世界的スターのF1ドライバー像。常識外れの速さを持ち、立ち居振る舞いも規格外。日本人には無理だろうと、どこかあきらめていたその壁をぶち破ったという意味で、鈴木亜久里は間違いなく新時代のF1ドライバーだった。

 彫りの深い端正な顔立ちに、底抜けのスマイル。全日本カート王者から当時史上最年少の18歳でF3デビュー。さらに全日本F3000初年度で選手権2位、2年目で星野一義を抑えて王者となり、F1デビューを果たす。

 そしてF1フル参戦2年目の1990年、エスポラルース・ランボルギーニで2度の入賞を経て、表彰台を獲得した。

 バランスのいいローラ製シャシーに、ランボルギーニV12エンジンのパワー。亜久里はLC90でたびたび好走を見せ、日本GPでも予選10位につけた。

 予選7位のジャン・アレジ(ティレル)がクラッシュで首を痛めて欠場し、亜久里は9番グリッドに繰り上がり。そしてアイルトン・セナ(マクラーレン)とアラン・プロスト(フェラーリ)のスタート直後の接触に続き、ゲルハルト・ベルガー(マクラーレン)はスピンオフ、ナイジェル・マンセル(フェラーリ)はドライブシャフト折損と、2強チームの4台が消える幸運にも恵まれた。

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著者プロフィール

  • 米家峰起

    米家峰起 (よねや・みねおき)

    F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。

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