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「引退したい」「まだできる」世界女王・荒川静香が迷いを抱え続けたトリノ五輪前の1年間 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Toshimi Oriyama

【あと1年、"奴隷"になって練習する】

 迷いがあったのは、翌季にトリノ五輪が迫っているからという理由ではなかった。自身は大学を卒業し、トリノ五輪は次の世代の舞台だという意識が頭のなかにあったからだ。そのために自分が競技のスケートに満足したら、次はプロフェッショナルとして滑りたいという気持ちが強かった。

 しかし、「まだできる」と周りに言われて乗せられている自分と、「そうなのかな?」と思う自分もいるなか、きっぱりと自分の意志を貫いて「やめる」と言いきれなかった。荒川はそう振り返る。

「去年の(優勝した)世界選手権の結果というか、その時のスケートを超えられるとは思えなくて......。それより高いレベルを目指すとは言っていましたが、本気でそう思ってやっていたかと言えばやっぱり口だけでやっていなかったと思います。だから(コーチの)タチアナに『この日に来なさい』と言われても、何か理由をつけてその日程をどんどん先に延ばすことが多かった。

 でも、ここまで来たらあと1年、もう後ろは振り返らずにやろうと思えるようになった。あとはタチアナの"奴隷"になって、練習計画を立てたらそれをきっちりこなして1年間を過ごしていきたいと思います」

 そんな気持ちの踏ん切りがついたのは試合のあとだった。終わったことにホッとして、ひと呼吸して考えた時だった。

「今季の1年間は試合だけに気持ちを向けてやった日数を考えたら、ほとんど1日もなかったと思いました。タチアナも本当に一生懸命やってくれようとしていましたが、自分が向かっていく気持ちになれなかったから、タチアナのところにも自分からは行けなかった。そんな状態で世界選手権の代表になった自分が恥ずかしいし、みんなに申し訳ない」

 タチアナ・タラソワには、そうした状態は金メダルを獲得した選手の運命だとも言われた。一度満足してしまうと次の年は結果を落とす。

「2002年世界選手権で初優勝したスルツカヤも、病気などで苦しんで去年の世界選手権は今回の私と同じ9位だったけれど、そこから1年間が奴隷のように働き続けて今回の優勝を手にしたのだ、と(タラソワに)言われて。だから私ももう1年、学生ではないフルタイムアスリートと言えるように、しっかりやっていきたいと心を決めました」

 タラソワがすでに次の新しいプログラムも考えているなか、自分自身が「何をすべきか」を考え、観客もジャッジも、すべての人が認めてくれる高いレベルのフィギュアスケートをしたいと思うようになった。

「本当に去年の世界選手権を超えられるような演技をしたいし、終わるのならみんなに祝福されて『お疲れさま』と言われるようにしたいです」

 荒川はそう言って笑みを浮かべたのだった。

後編につづく

<プロフィール>
荒川静香 あらかわ・しずか/1981年、東京都生まれ。仙台で過ごした幼少時代からスケートを始める。1994〜1996年の全日本ジュニアフィギュア選手権で3連覇。シニア移行後、1997〜1998年の全日本選手権を連覇。1998年長野五輪出場。2004年世界選手権では、日本人3人目となる世界女王に輝く。2006年トリノ五輪では自己ベストを更新し、アジア人初の金メダル獲得。2006年5月にプロスケーターとなり、本人プロデュースのアイスショー『フレンズ・オン・アイス』をはじめ、国内外のアイスショーで精力的に活動している。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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