小説『アイスリンクの導き』第3話 「福山凌太の事情」
『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載開始!
岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。
今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。
「氷の導きがあらんことを」
再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第3話 福山凌太の事情
昭和レトロ調のカフェ、福山凌太は奥にあるテーブル席でコーヒーを頼んだ。
時代を経て少し古めかしくなっているが、その変わらなさが心を落ち着かせる。開けた扉がカランと鳴って、新しいお客さんが入ってくる。その雰囲気は嫌いではない。店内で過ごしていると、気のせいか時間の流れがスローになる。
駅から歩いて10分ほどで、決して立地がいいわけではないのに、客足が途絶えない理由は、その居心地のよさが理由だろう。少年時代から翔平とよく集った。店主が親たちとも知り合いで、内緒で飲み物を半額にしてくれたし、たまにケーキセットを食べると、コーヒー代だけにしてくれた。
「ごめん、待った?」
翔平が遅れて入ってきた。
「いや、俺も今来たばかりじゃ。どうせ、関係者にもみくちゃにされとったんじゃろ?」
「まあね」
「それより、いきなり滑り出しよったんは傑作じゃったな。みんな、でーれー感動してたぞ」
「いや、気づいたら、あんなことになっとった」
翔平は照れ臭そうにした。
「やっぱり、翔平は華がある。子供も泣き止むほどじゃけぇ」
「スケートを嫌いになってほしくなかったから。どう伝えたらいいか、わからなくて、滑っているところを見てもらったらどうかなって。丁度、リンクに僕一人だったしね」
「ほうじゃな、氷の上を滑るのは楽しいもんじゃしな」
凌太はそう言って、ふと、自分のキャリアを振り返った。
世界ジュニア王者になった後、19歳で最後の全日本を戦って、モスクワ五輪出場を逃した。その後は、自ら表舞台から立ち去った。事実上の引退で、ジェットコースターのような競技人生だ。
「福山凌太は30年に一度の天才」
世間ではそう騒がれていたが、凌太本人は自らを天才だとは、ちっとも思っていなかった。10代で国際大会を経験、ジュニアでは敵がいなかったし、数字だけを見たらスコアは出していたが、早熟なだけだったのだ。
天才に何が起こったのか?
そう訊かれても、本人にすれば何も起こっていない。ずっと先を行っていたのに、幼馴染の翔平にあっさり追い抜かれたのはショックだったし、ジュニアで勝ちすぎた慢心もあったかもしれない。しかし、それは競技をやめる本質的な理由ではなかった。
凌太自身が行き当たってしまったのだ。
〈これが限界〉
それは強烈な現実だった。
もともと、センスや勘に頼ったスケーティングをしてきた。ジュニアでは、それで十分に無敵だった。シニアデビュー後も、しばらくはその勢いを保っていた。
しかし、確実に潮目は変わった。
シニアでは周りの期待の重圧も違ったし、対戦する選手は厚みを感じさせた。一方で、自分のスケーティングが安定しなくなっていた。演技の波が激しくなっていった。一度でできた技が次にやるとできなくなっていて、どこかの綻びを直したかと思うと、他の綻びが広がってしまい、いつの間にか、負の連鎖を起こしていた。
たしかに、練習はサボりがちだった。おそらく、練習量の少なさが負債のようにたまっていた。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。