小説『アイスリンクの導き』第3話 「福山凌太の事情」 (4ページ目)

 凌太は、躊躇する翔平の心境も想像はできた。翔平はこれまですばらしいキャリアを作ってきて、もし現役復帰となったら、成績次第では「期待外れ」と叩かれて名声を失ったり、不必要な批判を浴びたり、「復帰しなければよかった」となるリスクもある。かつてのような結果を残すことは容易ではない。競技レベルは4年で確実に進歩しているし、本人の瞬発力は確実に落ちているはずで、その逆風の中でブランクを取り戻せるか、何の保証もないのだ。

 最悪、地方のブロック大会も勝ち抜けない可能性もある。

「星野翔平はこの程度の選手だった」

 アンチからは、かつての名選手の転落を揶揄する声も上がる。失うものの方が大きい。

 それでも、翔平は現役でやり残したことがあるのだろう。それは彼にしかわからない感覚で、やりきった後にしか、正しいかどうかも答えはわからない。だから、挑戦するしかないのだ。

 有名なギリシャ神話に登場する神々たちも、多くは栄光に包まれた日々を送った後、晩年は不幸な最後になっている。たとえば、最強を誇ったヘラクレスは数々の魔物たちを征伐し、冥界の番犬も生け捕りにし、あらゆる英雄譚をほしいままにした。しかし最後は再婚相手に浮気がばれ、ネッソスの血の猛毒を体に纏い、激痛にのたうち回って絶命したという。

 結局、競技者の終わり方なんて、そんなものだ、とも割りきれる。生き様がすべてで、競技者として生きている瞬間にこそ、真実はあるのだ。

 凌太はその競技を投げ出した自分のことを棚に上げ、勝手にそう思った。

「そうと決まったら、いろいろ手配しないと」

 翔平は明るい声で言った。裏表がない、隠し事ができない性格だ。

「たしかに、いろいろ連絡するところがあるな」

「復帰するためには、ドーピング機構に書類を提出しないと。事務所に相談して、スケート連盟と話しながら進める。3月末までは仕事が入っているから、少し体を動かしながら、本格的な始動はそこからで。2、3カ月は滑り込みが必要だから、ジャンプも回数を抑えながら跳ぶ感覚を上げて。フリーも滑りきる体力を戻すには、あれこれ半年近くはかかる。10月のブロック大会を初戦にした場合、ギリギリ。同時に曲を決めて、編曲、振付師さんにも頼んで、衣装とか......」

「すっかり、その気じゃな」

 凌太はすでに冷えたコーヒーを飲みながら言った。

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