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【東京世界陸上】男子マラソン「努力の天才」吉田祐也、苦しい時期を何度も乗り越え、いざアフリカ勢に挑む

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

現在28歳の吉田祐也。昨年12月の福岡国際マラソンで日本歴代3位となる2時間05分16秒の好タイムを記録。その後も好調をキープしている photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT現在28歳の吉田祐也。昨年12月の福岡国際マラソンで日本歴代3位となる2時間05分16秒の好タイムを記録。その後も好調をキープしている photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT

【青学大時代から順風満帆ではなかった】

「努力の天才」「練習の虫」が9月15日、ついに世界の舞台に立つ。

 青山学院大4年時、吉田祐也(現・GMOインターネットグループ)は、箱根駅伝から1カ月後の別府大分毎日マラソンでマラソン初挑戦し、日本人トップの3位入賞を果たした(2時間0830秒)。その後、周囲の強い勧めもあり、入社内定を得ていたブルボンに辞退を申し入れ、実業団へと歩みを進めた。

 その時、目標として掲げたのが「世界」だった。その舞台で今回、日本代表としてマラソンを戦うことになるが、その競技人生を振り返ると、決して順風満帆ではなかった。

 青学大の1、2年時は駅伝に縁がなかった。3年時、全日本大学駅伝で大学駅伝デビューを果たし、5区で区間賞を獲得。チームの優勝に貢献した。その流れで箱根駅伝の10区にエントリーされたが、当日変更で同期の鈴木塁人(現・GMOインターネットグループ)と交替した。吉田の落胆は大きく、「心が折れたまま2カ月ぐらい過ごしていた」という。

 学生時代の吉田はケガで長期離脱することがなく、練習もしっかりとこなせる優良選手だったが、青学大のような強いチームでは、それだけでは駅伝を走れない。

「他のチームのエースと呼ばれる選手たちに比べると、何かひと押しが足らないなというのが悩みでした。結局、"11番目の選手"状態がずっと続いているのは、(原晋)監督に『駅伝に出すにはちょっと不安がある』と思われていたからかもしれません」

 そんな評価を覆したのが4年の時だった。大学最後の1年、クヨクヨしていても箱根駅伝には近づけない。だったら悔いの残らない時間を過ごそうと、それまで以上に練習に没頭した。例えば、フリーの日には、朝に90分ジョグ、昼に12km、そして、午後に再び90分ジョグを行なった。周囲の選手がギョッとするほどの練習量だった。

「競技寿命を縮めるぐらいのレベルのことをやっていたので、今じゃやらないほうがいいなと思うんですけど、(競技生活は)あと1年だからぶっ壊れてもいいので、とりあえずやろうと。それが自分にはよかったんだなと思います」

 その頃から「練習の虫」と言われるようになった。夏合宿では練習量をさらに増やし、自分を追い込んだ。それが実を結び、最初で最後の箱根駅伝出場を果たすと、4区で区間新記録をマーク。チームの総合優勝に大きく貢献した。そして、前述の別府大分毎日マラソンの好走につなげた。

 大学卒業後は、単に練習量を追うだけでなく、運動生理学やランニングに関する研究論文や文献を読み、最新の知見も取り入れた。練習を行なうにあたり、生理学的にどういう効果があるかを知っておくのと、知らないのとでは、大きな違いがあるからだ。科学と根性と経験をうまくミックスして競技に取り組んだ。

 当時、GMOの花田勝彦監督(現・早稲田大駅伝監督)は、吉田について「止めないとずっと練習をしている。(他の選手には)しっかりやろうと声掛けするのが私の仕事ですが、吉田に関しては練習を止めるのが仕事だった」と語っていた。

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著者プロフィール

  • 佐藤俊

    佐藤俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

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