小説『アイスリンクの導き』第17話 「ゾーン」
『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載第16話
岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。
今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。
「氷の導きがあらんことを」
再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第17話 ゾーン
全日本のショートプログラム、会場は三浦富美也のアクシデントがあって、ざわつきが収まらなかった。その後に滑った選手は、その混乱が伝線したように失敗を繰り返していた。不穏なムードが、まだリンクに残っていた。
その中で氷の上に立った星野翔平は、凪いだ海のような心境だった。心の中が、少しも波立っていない。静けさが深いからこそ、奥底から熱が湧き出てくる。それは無限のように思えた。
ほとんど意識せず、3本目のジャンプを降りていた。周りで動く風景が、妙にスローに感じられる。ゾーンの入り口にいるのだろう。
ステップシークエンスで『ロクサーヌのタンゴ』で体を弾ませると、激情を濃厚に含んだ音が自分と一つに溶け合ったようだった。勝敗の呪縛から解き放たれたように錯覚した。同時に、無敵感に体が貫かれる。足換えシットスピンでは、右ひざがケガ前のように伸びた。足換えコンビネーションスピン、フライングスピンも回転がひたすら心地よかった。
全身で何かを感じ取れる気がした。光を匂い、音に触れ、それを俯瞰する、五感のすべてが混ざり合う感覚があった。あと一息で、完全に向こう側に入るところにいた。
しかし、その刹那だった。右膝に鋭い痛みが走り、現実に引き戻された。最後は何事もなかったようにフィニッシュポーズを決め、一斉に歓声が上がったのだが......。
〈ゾーンの奥までは入れそうだったのに〉
翔平は歓声を受けながら悔やんだ。心地よさそうな世界の扉を開きけたところで、痛みで引きずり戻された。
四方に向かって挨拶をし、熱気が渦を巻く中、恐る恐る足を運んでリンクサイドに戻った。痛みの理由を知るのが怖かったが、ブレードのカバーをつけ、歩くのに支障はない。前十字靭帯だけでなく、内側側副靱帯や半月板を痛めている可能性もある。強い炎症を起こしているのは間違いなかった。
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プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。