小説『アイスリンクの導き』第10話 「先輩」
『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載第10話
岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。
今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。
「氷の導きがあらんことを」
再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第10話 先輩
秋が深まって、冬の足音が聞こえてきた。兵庫県、尼崎市のアイスリンク。星野翔平は全日本選手権出場を懸けた西日本選手権で、会場に着いたところだった。すでに辺りは真っ暗だったが、会場入り口だけは待ち構える報道陣の照明で小さく明かりが灯ったように見えた。立ち止まると囲まれてしまうので、小さく会釈しながら足早に会場に入った。
前日、ショートでは98.50点で首位に立っていた。2位を引き離す高得点だった。世界トップを争う陸、富美也に比肩した。
翔平は一度目の現役時代にも滑った「ロクサーヌのタンゴ」を妖艶に滑った。映画『ムーラン・ルージュ』、劇中で登場する女性と男性の悲恋の物語をなぞった曲だ。
「El alma se me fue」
魂は私から去っていってしまった。スペイン語の慟哭のような歌詞が印象的だ。
翔平は、その世界に自然と入り込むことができた。切なくも力強いバイオリンが奏でるタンゴのリズムに合わせ、色気たっぷりに足を運ぶ。冒頭で、4回転フリップの大技を成功した。飛距離、高さ、すべて完璧だった。しわがれた声のボーカルに合わせ、トリプルアクセルも完璧に着氷。そして曲の盛り上がりと共に、4回転ルッツ+3回転トーループの大技も決めた。セカンドはやや回転不足が付いたが、復帰する前の現役時代と遜色ない出来だった。
そして最後のステップは独壇場。まるで翔平自身が楽器になり、音を奏でているようですらあり、会場を熱気で包んだ。
「近畿選手権では、4年ぶりの復帰初戦の初演技だったにもかかわらず、ショートでは70点台後半を出せていました。それが今回は4回転も入れられて。曲にも乗れていたと思うし、少しできすぎな気もしますが、手ごたえを感じています」
演技後のフラッシュインタビュー、翔平は演技の高揚感がある中で淡々と答えていた。
「ただ、近畿でもフリーは勝手が違い、苦戦したので。そこは明日のフリーも課題ですね」
近畿では冒頭の4回転トーループ、トリプルアクセルを成功し、出だしこそ悪くなかった。しかし徐々に足が止まり始め、後半は体力が切れていた。後半のジャンプは回転不足と転倒。4年間のブランクが出た。練習の曲かけはクリアしていたが、試合で4分間の演技をやりきるだけの力が戻っていなかった。ショートは2分40秒だけに、ごまかしながらできたが......。
「ショート、フリーを両方ノーミスで」
スケーターは呪文を唱えるように繰り返すが、二つをミスなく滑るのは簡単ではない。翔平は実戦を肌で実感していた。
そこで近畿選手権後の3週間は、フリーの練習を重点的にやってきた。曲かけ練習を繰り返し、感覚を取り戻すことに集中する一方、水泳トレーニングを取り入れることで心肺機能アップも目指した。走り込みや曲かけ練習で体力をつけたかったが、膝への負担を考えた苦肉の策だった。そしてスクワットジャンプ、ブルガリアンスプリットスクワット、ランジジャンプなどで大腿二頭筋、大腿四頭筋を太くした。
そうして迎えた西日本だった。
「膝を温めておこうか」
今回は特別コーチの凌太がついていてくれた。四郎コーチはグランプリシリーズを転戦している選手の振り付け、コーチも担当し、今回はそっちに専念してもらうことになった。
ウォーミングアップで屋外に出た。暖気が列島を覆っているせいか、空気は冷たくなかった。翔平は膝まわりの筋肉の目を覚まさせるように、ゆっくりとした片足のスクワットで負荷をかけた。付き合い方も、体に馴染んできた。悪友のようだが、自分の一部なのだ。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。