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小説『アイスリンクの導き』第10話 「先輩」 (3ページ目)

 テーブルに置かれた烏龍茶と焼酎のグラスを持って、二人は再会に乾杯をした。

「坂本さん、僕が膝の不安と波多野先生のことでバルセロナに逃げた時も、励ましてくれたじゃないですか? 坂本さんが競技者として最後に見せてくれた"生き様"のおかげでミラノ五輪でもメダルが取れたんです」

「そんなことあったっけか?」

 坂本はそう言って焼酎を味わう仕草ではぐらかした。

「『スケートで世界一になるなんて、関係ない人にとっては、バカバカしいことかもしれない。けど、俺たちはそれに人生を懸けてきた』って。本当、そうだよなって、誰にどう思われるよりも、自分の気持ちに正直になろうって」

 翔平は坂本の口真似をして言った。

「全然、似てないし」

 坂本は苦笑した。

「あと、『フィギュアスケートは、競技人口も少ない。よほどのことがない限り、大金が稼げるわけでもない。競技を続けるには大金がかかる。変わり者の集まりだ。でも、だからこそ、スケートの世界は人と人との結束が強い。特殊な世界だからお互いが尊重し合うし、誰かが誰かに生かされているんだ』って話も好きです」

「おいおい、坂本大志の伝記でも書くつもりか」

 坂本は照れたように言った。

「出版社に売り込みます」

「翔平の自伝にしろよ。お前は人がやったことがないことをやっているんだからさ。大変なことはあるんだろうけど、様子を見ていると楽しそうだな」

「復帰は迷っていました。でも坂本さんが、『引退した後でも、リンクに立って勝つか負けるか、瀬戸際にいる夢を見る』って言っていたじゃないですか? 僕もまさにそうで」

「あの瞬間にもう一度戻りたい、ってキュンってなるやつな」

「それです」

「俺は、さすがにもうないぞ。体が動かない。ジャンプなんて、着地でドスンってなる。銀盤が砕けるんじゃないかって心配になるよ」

 坂本は笑って焼酎を飲み干し、刺身盛り合わせを持ってきた店員にお代わりを頼んだ。

「坂本さんが『寂しいけど、あの時代はもう終わった。悪くないスケーター人生だったと思う』って言っていたのが好きで。自分も、悪くないスケーター人生だった、って一度は思ったはずなんです。ただ、まだ滑っていたい、やり残したことがあるっていうのに引きずられてしまって、成仏しきれていなかったというか」

「ゾンビに乗っ取られたって感じか?」

「ある意味、そんな感じです。いつの間にか、もう、いてもたってもいられなくて」

 翔平は正直な気持ちを話した。

「あくまで俺の持論だけどな。フィギュアっていう珍しい競技を続けてこられて、それだけで運命的なんだよ。それぞれの選手が、それぞれの選手を助けている因果がそこにはあって。翔平が自分の夢を引き継いだ、なんていうつもりはない。でも、何かが確実につながった。それはこれからも同じで、自分もつながった糸の一点にいるんだろう。それは幸せなことだよ」

「はい」

 翔平はしみじみと頷いた。

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