小説『アイスリンクの導き』第10話 「先輩」 (5ページ目)
「不得意だっていうのは、不得意だって思い込んで、脳がブレーキをかけているっていうんです。凌太は抜群のセンスで、どのジャンプもすぐに3回転までは跳べました。その時、周りが『高難度をすごいな』って言ってきたらしいんですが、あいつはそんなのは知らなかったから、考えずにぴょんって跳んだらしいんです」
「先入観がなかったんだな」
「そうです! そこで生まれ変わったつもりで取り組んでみています。結果は同じように失敗していますけどね。やっぱり、簡単にはいかないな、って。凌太とはキャラも違うし。それが最近、サルコウの手ごたえをつかめたような気がしているんです」
「コツがあった?」
「いや、明確なものはないんですよ」
「ジャンプは前触れもなくできることの方が多いからな」
「そうなんです。結局、苦手に思っていたから、練習量も少なかったんですよ。他に時間をかけた方が有効だったし。苦手だったことも間違いないんですが、そうなる理由もあったというか。たぶん、不得意を理由に、確信を持った練習も少なかったから、なかなか技術が定着しなかったのかもしれません。今回、ゼロからやり直すところで、今までのポイントもカウントされて、それがクリアするところまで達したんじゃないかって。まあ、自分らしく粘り強く続けてきたことが、ちょっとしたきっかけでつながったんですね」
「結局、スケートは生き方が出る」
坂本は感慨深げに言った。
「はい、そうだと思います。凌太に『お前が羨ましい』って言われました。『そうやって長年かけて習得できるって、人生が間違っていなかったって言われるようなもんだろ? 全部のジャンプがまんべんなく跳べるよりも、いきなり跳べるよりも、よっぽどいいよ』って」
「凌太はうさぎで、センス先行型だったから」
「自分は亀っすよ。でも、道はつながっていたんだと思います」
翔平は陸上でも、専門のトレーニングを取り入れた。足だけで跳び上がるイメージを、体中でふわっと浮かせるようになった。足と同時に腰や上半身も連動させ、特に股関節と肩甲骨の動きを意識し、全身の力を爆発させるイメージだ。
体の一部だけでいくらパワーを出しても、それは分散してしまう。全身を連動させるダッシュの一歩目、ジャンプを繰り返した。体の部位を連動させることでゆったりしているのに強い力を生み出せるようになった。
「若造どもに思い知らせてやれ。俺のすばらしい現役時代を知っているスケーターは、今や翔平だけだしな。応援しているよ」
坂本は3杯目の焼酎を飲み干して言った。
「ありがとうございます。勝負を挑むからには勝ちに行きますよ。競技者として残された年月を使いきったはずなのに戻ってきて、正直を言えば"勝てなくてもいい"って開き直りたいのもあるんですが、食らいつく姿勢を見せることが大事で、それが奇跡につながるんじゃないかって」
「きっと、その姿はみんなに伝わるよ。全日本が楽しみだな」
坂本はそう言って、「次は日本酒にしようかな」とドリンクメニューとにらめっこした。今日は酔っ払うつもりなのだろう。自分に気を許しているのか、いつも目の前の人生を謳歌している姿に、羨ましさに似た敬意を覚えた。
「まずは西日本選手権を勝ち抜きます」
翔平は坂本に言う。
「ロード・トゥ・全日本だな!」
酔いが回ってきた坂本は、両手で何かポーズを取りながらおどけて言った。
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。
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