羽生結弦が能登半島地震復興支援チャリティー演技会に込めた想い 満ちあふれていた力強さ

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

 9月15日に金沢市のアイスリンクで開催された「能登半島地震復興支援チャリティー演技会~挑戦 チャレンジ~」。会場は無観客で、被災地である珠洲市と輪島市、七尾市、志賀町でパブリックビューイングが開催された。また、映像配信サービス「Lemino」を通して有料配信を実施し、その収益は石川県に寄付される。

『春よ、来い』を披露した羽生結弦 ©Yaguchi Toru『春よ、来い』を披露した羽生結弦 ©Yaguchi Toruこの記事に関連する写真を見る「僕自身、現役時代のひとつの大きな目的として、オリンピック2連覇をしたところから被災地への支援や、思いやりみたいなものをスタートにしたいなという気持ちがあって、競技自体を頑張ってきました。

 プロに転向してからも、徐々に徐々に被災地やいろいろな災害などに心を馳せることがやっとでき始めています。自分はスケーターであることが一番なので、自分の演技で皆さんに対しての支援であったり、感情に対してのちょっとした助けであったりができないかなと思っています。3.11(東日本大震災)もそうですし、その時々で起こっているいろんな災害に対してもそうですが、今回は特に能登地方の震災に対してのチャリティーということでやらせていただきました」

 羽生結弦がこう話した今回の演技会は、輪島高校体育館と中継でつないだ「輪島・和太鼓虎之介」の演奏で始まり、輪島市在住のプロ和太鼓奏者・今井昴氏とコラボレーションした能登高校書道部の制作演技に続き、リンクでスケーターだけの演技が始まった。

 無良崇人は「歌詞の中にある『そばにいるよ』『大丈夫だよ』という気持ちを伝える目線を持って滑らせていただきました。日々少しずつでいいので、そういう思いを近くにいる人たちと大事にして進んでいってもらえたらいいなと思っています」と『燦々』を滑る。

 鈴木明子は「私自身、選手生活の中で苦しいことも多かったですが、手を差しのべてくれる人たちがたくさんいて支えてもらった。だからこそ、私は受け取ったものをまた誰かに渡したいという気持ちで今日ここに来ました。その力が希望の光となって皆さんに伝わったらいいなと思っています」と、『愛の賛歌』を演じた。

 宮原知子は「自分の進む道を見つめて、未来へ向かって光を見つめるというテーマで滑りました。これからもいろんなことがある世界ですが、本当に前を向いてみんなで頑張っていけたらと思っています」と話し、『スターバト・マーテル』を舞った。

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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