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小説『アイスリンクの導き』第18話 「取得と喪失」 (3ページ目)

「そう言えば、富美也が棄権って聞いたけど、一体、何があった?」

 翔平は凌太に訊いた。元コーチだけに複雑な思いもあるだろう。

「ケガした」

「演技中に?」

「ジャンプの着氷」

「そっか。つらいな」

「あいつは乗り越える。そういうやつじゃけ」

 凌太は願いを込めるように言った。
 
「強いな」

「師匠とか、いらんのじゃ、あいつは。『スケートで一番になる』っていう情念を燃やして突き進める。その迷いのなさに富美也の強さがあって、手段も目的も違うのに似とる」

「誰と?」

 翔平は重ねて訊いた。

「お前とじゃ。演技に向かうひたむきさっちゅうか、真っ直ぐさは」

「うん」

「俺はお前らのような奴が好きじゃ。自分にはないもんをもっとる。じゃけぇ、今日は演技前についていてやれずにごめん。うなだれた富美也を放っておけんかった。いっつも、ぎゃーぎゃーすりゃ、こうしゃくゆーて、おうじょうしよんじゃ、あいつは。それがでーれーすばろーしい顔してな。あいつを焚きつけて命の火をつけてやりたかったんじゃ。燃えかすのままにしとったら、湿っぽくなって二度と火がつかんくなってまうけえ」

 凌太は周りに聞かれたくないのか、いつになく岡山弁が強く、祖父の時代の昔ながらの方言だった。いつも何を言っても屁理屈をこねる富美也が、蒼白な表情をしていたことで、放っておけなかった気持ちは伝わってきた。そんなことで、怒る気持ちはさらさらない。むしろ、一人のスケーターとして共感できた。

「四郎コーチがついていてくれたし、凌太がいなかったことは気にしてないよ。明後日は頼む」

「当たり前じゃ」

 凌太は照れたように笑った。

「では、皆さん、今日は解散ということで。翔平君、ショート、すばらしい演技でした」

 東山マネージャーが気を使って言った。

「ありがとうございます。皆さんも、お疲れさまでした」

 二人以外、部屋から出た。

 翔平は、簡易ベッドの上で仰向けになった。早乙女は中性的な風貌で、経営しているクリニックでは、女性客が多い。長髪をバレッタでまとめて、長身で痩せているが筋肉質で、手足の長いダンサーのようにも見える。

「まず、筋肉をほぐしながら、体の状態を確認しますね」

「はい」

 早乙女の手のひらは不思議な感触がある。温かく柔らかい。一個の生き物のようだ。それで自分の体がまさぐられるのだが、表面からなのに内部を撫でられている錯覚を受ける。足首、股関節、腕、肩がほぐれていく。

「じゃあ、うつぶせになってもらってもいいですか?」

「はい」

 早乙女にされるがままになる。ふくらはぎ、ハムストリング、腰、背中、首。凝っている部位を、やや重点的に時間をかけて施術した。これだけで、体の疲労が取れたようだった。

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