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小説『アイスリンクの導き』第7話 「再デビュー戦」 (2ページ目)

 右膝の調子は悪くないようだった。とは言え、急に動かしたり、いきなり曲げようとしたり、強い力を与えると痛みが出る。ゆっくり焦らず、ご機嫌を伺いながら使える状態に持っていく。現役復帰した後、日々ダメージは蓄積されているはずだ。

 翔平は立ち上がって、縄跳びで徐々に心拍数を上げた。過度に緊張していた若い選手も、一人で会場内から外に出てきたようだった。覚悟を決めたようにも見えるし、今さら話しかけるタイミングでもない。

 徹底的な体重管理で、体脂肪率は3%までに絞っていた。その追い込みは一度目の現役時代もやっていたことで楽勝だと思っていたが、30代を痛感させられることになった。代謝は落ちているだけに、脂肪は付きやすく、落ちにくい。筋肉は付けられるが、体重が増えてしまうと体全体に負荷をかけてしまう。

 縄跳びで体が温まって、汗をかいてきた。久しぶりの臨戦態勢だ。

「翔平く~ん!!」

 無垢すぎる声で呼びかけるのが聞こえる。

「久しぶりだな、陸」

 翔平は淡々と答えた。飛鳥井陸は三浦富美也と並ぶ世界的スケーターだが、その無邪気さは昔と変わらない。練習場よりも、試合会場の方がリラックスしているのが、彼の異能だろう。練習でできるところまで追い込んでいるから、試合を迎えた時に達観していられるのだ。

「何だ、もっと喜んでくれないの! めっちゃ、久しぶりなのに」

「陸は、最終グループだろ? 早すぎないか、来るの?」

「翔平君に会うために早く来たに決まってんじゃん! 演技見るの楽しみにしていたんだから」

 陸は不機嫌な顔を作って言った。

「まだまだ、調子は戻ってないって。世界一を争う陸や富美也のようには滑れないよ」

 翔平は本心から言った。自分が休んでいる間、進化を遂げた二人にすぐ勝つなんて甘い考えだった。ただ、同じ舞台には上がれる手ごたえは感じていた。そこから先は、自分の手から離れて何かに導かれる。

「氷の導きがあらんことを」

 子供時代、凌太と二人で口にした"呪文"だ。

 凌太はこの日、岡山で仕事が重なって駆け付けることができなかった。あくまで調整のための大会。まずは、現役復帰でどこまでできるか。

「ちょっと翔平君、聞いてる? 僕は別にして、富美也には負けないでよね。あいつは相変わらず自分勝手でむかつくんだから」

 陸は腹を立てたように言った。

「いや、二人ともいいライバルだと思う」

「僕のライバルは翔平君だけだよ。また、優勝争いしようね♪」

「だから、俺はまだ厳しいって......」

「ショートは『ロクサーヌのタンゴ』にしたんだね! 引退する前に滑っていたプログラムだ」

「なんか、心残りがあってな。あそこからリスタートしようって」

 翔平は言った。

「いいよ、すごくいい! 翔平君のタンゴ好きだもん。僕も一緒に踊りたい」

「アイスダンス、カップルでも組むか?」

 翔平は珍しく軽口を叩いた。陸が相手だと、何か気を許してしまう。相性というよりも陸の人間性だろう。どれだけ生意気で、ふざけた調子でも、いつも大勢の人に囲まれて愛されている。

「アイスダンス、一度はやってみたいな。男同士でもできるの? 興味あるかも。あ、先生が呼んでるみたい! ちょっと行ってくる。演技、応援しているからね!」

 陸はそう言って走って去った。相変わらず、マイペースだ。

 翔平は、居場所に戻ってきた気持ちになった。

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