小説『アイスリンクの導き』第2話 「原点回帰」
『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載開始!
岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。
今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。
「氷の導きがあらんことを」
再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第2話 原点回帰
「間に合ったのう」
福山凌太が首をすくめながら、口をその形にして合図を送ってきた。関係者が周りにいるのを気遣ったのだろう。
星野翔平は、両手を合わせて謝るようなポーズをした。飲みすぎたせいで、案の定、寝坊してしまった。飛行機は時間が合わず、岡山駅の近くだったこともあって、新幹線に飛び乗り、予定の1時間遅れでリンクに到着した。そのせいで、打ち合わせや簡単なリハーサルは一切できなかったが、入場時間にはどうにか間に合った。タクシーを降りて駆けてきたので、まだ息が整っていない。
通路で待機しながら、凌太と並んで呼び出しのアナウンスでリンクに入るのを待っていた。
「ギリギリ」
凌太がからかうように言う。
「ごめん。昨晩、飲みすぎた」
翔平は言い訳せずに答えた。
「俺たちもこがーな、ちっこい頃からスケートを始めたんじゃのう」
凌太は遅刻をとがめることはなく、騒がしい声が聞こえる方を覗き込むように言った。小1から小3の少年少女たちと一緒に、スケート体験をすることになっていた。
「ほうじゃな」
翔平は感慨を込めながら同意した。普段は岡山弁が出ることはないが、幼馴染の凌太と一緒の時は少しだけ出た。
翔平が初めてリンクに立ったのは、7歳の時だった。本当は小学校に入ったら、という約束だったが、母が妹を身ごもったタイミングで、1年待つことになったからよく覚えている。初心者のわりには、すぐに立つことができて、よちよちとペンギン歩きをした。氷を押す感覚には天分があったようで、滑ることに憧れていたから、転ぶことまでも楽しかった。
スケート教室に初めて参加した時、全日本フィギュア選手権に出場した経験もある女性のゲストコーチが優しく滑ることを教えてくれた。
「翔平君は、氷の上ですごく楽しそうに見える。表情がコロコロ変わって、私も楽しくなる。それ、フィギュアスケートの選手にとっては、すごい才能なんよ。楽しさが人に伝わるっていうのは」
そう言ってくれたのを思い出す。スケートはすぐに好きになったけど、フィギュアスケートをやろう、と決めたのはその言葉に後押しされたのだろう。
「なんしょん、入場の合図、出とるぞ」
凌太の呆れたような声に、翔平は我に返った。
「ごめん」
少し遅れて登場し、手を振りながらリンクに入った。氷を強く押した。リンクサイドで待っていた子供たちよりも、付き添いの親御さんたちの方が歓声は大きかった。
「さすが、翔平はでーれー人気じゃ」
凌太が小声で冷やかす。
「お前も、地元では人気者じゃろうが」
「元・天才ってか」
「いや、そんなつもりはないけど」
翔平は、少し口ごもる。
「全然変わらんな、翔平は。すぐに顔に出よる」
凌太は、子供たちの方を見ながら言った。
リンクサイドはにぎやかだった。大勢の子どもたちが黄色、赤色、水色と鮮やかなビブスを着込み、小さな体をぼむぼむと弾ませていた。全員がスケート未経験者で、スケート靴も初めて履いたのだろう。おずおずと歩く姿が微笑ましい。
「うちのヘルメットじゃ」
明るい女の子が、オレンジのヘルメットを自慢していた。一人だけ別の色だったことがうれしいのか。自分の指の爪で、頭を叩いてコツコツと音を出した。
一方で、母親の手をぎゅっと握りしめたままの男の子もいた。男らしさ、女らしさ、みたいな時代ではない。もしくは、もともと誰かが作った固定概念だった。性別など関係なく、初めて氷の上に立つ期待と緊張が入り混じっていた。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。