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錦織圭とIMGアカデミーで切磋琢磨した同期・富田玄輝の本音 「どんどん強くなるなと感じていました」

  • 内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

錦織圭という奇跡【第35回】
富田玄輝の視点(1)

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 2003年夏──。

 まだYouTubeもiPhoneも存在しなかった時代に、世界のトップ選手を目指して、3人の少年が米国フロリダ州のIMGテニスアカデミーへと赴(おもむ)いた。

 ひとりは、錦織圭。言わずと知れた、世界の4位に至った日本テニス史の開拓者である。もうひとりが、喜多文明氏。実業団テニスで選手として活躍し、現在は株式会社リコー男子テニス部の監督を務めている。

 そして今回話を聞いたのが、富田玄輝氏。ブリヂストンスポーツ株式会社勤務を経て、現在は地元岡山市のアサヒテニスクラブで、コーチとして後進の指導にあたっている。

錦織圭より1歳年上の富田玄輝氏(右) photo by Genki Tomita錦織圭より1歳年上の富田玄輝氏(右) photo by Genki Tomitaこの記事に関連する写真を見る 彼らは早くから出会い、異国の地で苦楽をともにするも、やがてそれぞれの道を歩み始めた。時間の経過とともにその足跡が交錯する機会も減ったが、それでもテニスという共通項により、彼らの人生は今もつながっている。

 富田氏と錦織との出会いは、同じ中国地方出身ということもあり、早い。

「私が圭と最初に会ったのは、どこかの地方大会だったと思います。うちの姉もテニスをやっていて、圭のお姉ちゃんと同じ大会に出ていたこともあったんです。なので、お互いに姉の試合を見にきた時に、初めて会ったんだと思います。

 最初の頃の圭の印象は、静かな子でした。『暗い』というのとも違いますが、実際に話したら楽しくも感じるので。でもパッと見は、ちょっとおとなしい感じでした」

 姉の応援のために会場を訪れていた、自分と同じ年頃の男の子......それが富田氏にとっての、錦織圭との出会いだった。その後は彼ら自身が、試合をするようになる。

「初めての対戦がいつだったかちょっと覚えていませんが、小学2~3年生の頃だったのかなと思います。上手だったというのは覚えていますね。

 私は、小学生の頃から背が高いほうでした。あまり器用なタイプではなかったので、サーブとストロークをしっかり打つことくらいしか考えていなかったと思います。

 たしか全国大会での対戦はなかったと思うんですが、地方大会で対戦した時はいつも、私がかろうじて勝つ、みたいな感じだったのは覚えています。けっこう押されて追い詰められながらも、なんとか勝つという試合が多かったと思います」

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著者プロフィール

  • 内田 暁

    内田 暁 (うちだ・あかつき)

    編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。

【写真】日本女子テニス「6人のティーンエイジャー」フォトギャラリー

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