小6の錦織圭は全国大会3冠をあっさり達成 25年前から知る職人は「まったく雰囲気に飲まれず」驚いた
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錦織圭という奇跡【第15回】
玉川裕康の視点(1)
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「最初に会ったのがいつだったか、記憶を辿っていっても、あまり思い出せないんですよね......」
25年ほどの時をさかのぼり、記憶のなかの景色にその人を探すように、玉川裕康氏は目を細めた。
玉川氏の現在の肩書きは「ストリンガー」。選手たちのラケットに「ストリング(ガット)」を通し、ボールを打つ「面」を編みあげる職人である。
テニスラケットは、選手たちにとって腕の一部といっても過言ではない。とりわけストリングで編まれた面は、手のひらといったところだろう。
ボールをつかむように捕え、時に激しく、時に柔らかく、狙った場所へと弾き飛ばす。指先のように繊細な感覚が求められる部位であり、多彩なショットを操るテクニシャンほど、少しの差異にも敏感だ。ストリンガーとは、それら一流の求めに応じ、「感性」という数値化が困難な概念をも具現化する「匠の人」である。
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錦織を年少時代から知るストリンガーの玉川裕康氏 photo by Akatsuki Uchidaこの記事に関連する写真を見る 全豪オープンやオリンピックなどテニス界の最前線で活躍する玉川氏は、その道の第一人者だ。ただ、彼が初めて錦織圭に出会ったのは、ストリンガーとしてではない。隣町のテニスクラブで働く、アシスタントコーチとして。玉川氏の言葉を借りれば「ちょっとテニスのうまい、大学生のお兄ちゃん」であった。
玉川氏が、生まれ育った鳥取市の「遊ポートテニスクラブ」でコーチとして働き始めたのは、鳥取大学のテニス部員時代。大学の先輩に誘われて「アルバイト感覚」で始めた。もっとも、その当時からストリンギングも勉強し、クラブの生徒たちのラケットを張ることも多かったという。
「親からは『普通に就職しろ』と言われていたけれど、コーチなりストリンガーなり、テニスの世界で働くのもいいなぁ、そうなればいいなあと思っていた」
そんな時分だった。
のちの世界4位と玉川氏が接点を持ったのは、遊ポートテニスクラブのメインコーチである石光孝次氏と錦織家の親交が深かったから。錦織の遠征先や出場大会が遊ポートテニスクラブの選手たちと重なる時は、なかば保護者的な立場で面倒を見るようになった。
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。













