錦織圭に憧れた「元・天才少女」奈良くるみの思い出 「『SLAM DUNK』を貸してくれたのは、圭くんだった」
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錦織圭という奇跡【第9回】
奈良くるみの視点(1)
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「今もですけれど、当時から圭君は独特の雰囲気があって......。最初はなかなか、距離が縮まらなかったと思います。やっぱり、すごく強い人だという印象があったので」
柔らかな笑みをふわりと浮かべ、20余年前の日を、奈良くるみさんは懐かしそうに思い返した。
小学生時に全国タイトルを総ナメにし、中学1年生にして全国中学生テニス選手権でも優勝。『天才少女』と呼ばれた彼女は、12歳の時に盛田正明テニス・ファンドの奨学生として、米国フロリダ州のIMGアカデミーに渡った。
その新天地で、同じ盛田ファンドのチームメイトとして出会ったのが、2歳年長の錦織圭である。
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奈良くるみさんに錦織圭の初印象を聞いた photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 奈良さんがIMGアカデミーに渡った当時、錦織圭と同期の富田玄輝さんと喜多文明さん、さらに複数の女子選手も、盛田正明ファンド生としてIMGアカデミーを拠点としていた。
それら日本人グループのなかでも、奈良さんは最年少。不安と心細さを抱えながら足を踏み入れた新天地で、最初に声をかけてくれたのは、現在は株式会社リコーのテニス部監督を務める「フミくん」こと喜多さんだった。
「フミくんがすごく社交的なので、いろいろと話しかけてくれました。フミくんは、そういう『頼れるお兄さん』的存在だったんです。圭くんはそこまで社交的ではないし、自分から話しかけてくるタイプではなかったのかな。だから最初は、私はちょっと緊張感があったと思います。やっぱり年上のお兄さんだし、すごく強い人でもあったので」
奈良さんが渡った当時のIMGアカデミーでは、盛田ファンド生の日本人ジュニアたちは男女共同で練習していた。ただ、寮の部屋はもちろん別。あらゆる国の、異なる競技の若きアスリートたちが、文字どおりひとつ屋根の下で暮らす『アスリート虎の穴』的環境である。奈良さんは「韓国人のゴルフ選手と同じ部屋のことが多かった」と回想した。
いずれにしても、まだスマートフォンはなく、動画やゲームの配信サービスなども今ほど身近ではない時代。同じ言語と文化を共有する者たちが、距離を縮めていくのは自然だった
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。













