【女子バレー】NEC川崎のリベロ・児玉奈津美は佐野優子に憧れて「日の丸を背負う選手になる!」 SVリーグで感じた夢との距離
【佐野優子に憧れ、『日の丸を背負う選手になる!』】
NECレッドロケッツ川崎のリベロ、児玉奈津美(24歳)はSVリーグ1年目で、チャンピオンシップを含めた48試合に出場した。レギュラーシーズンのサーブレシーブ率は54.6%で、リーグトップクラス。ボールを拾い、つなぐ。それは人生をかけた鍛錬の賜物だ。
SVリーグ1年目から活躍したNEC川崎のリベロ・児玉 photo by 長田洋平/アフロスポーツこの記事に関連する写真を見る
「バレーをしていた母に、『その努力はどこかで誰かが必ず見てくれているから』って励まされて。だから頑張り続けてこられたし、その言葉通りだと体感もしました」
児玉は、自分で塗ったというネイルを煌めかせながら言った。
大阪で生まれ育った児玉のバレーボールとの出会いは運命的だった。母のママさんバレーや姉のジュニアチームの練習に連れていかれ、2歳になる頃にはボールを抱きしめていたという。そして幼稚園の年長になると、自ら「みんなと一緒にやりたい」と志願した。物心ついた時から、そこにあるのがバレーだった。
「周りは年上ばかりでしたが、体格の差があっても『同じレベルでやりたい』と思っていました。そこでの成長は早かったです。バレーが大好きというのが原動力でした。(全日本のリベロだった)佐野優子さんの"なぜかそこにいる"というプレーに憧れて、『日の丸を背負う選手になる!』って思うようになりました」
人生のなかで心に残っている試合のひとつが、小学6年時の大阪府大会の試合だ。
「事情があって2回チームを移っているんですが、小学校5、6年で入ったチームは快く受け入れてくれて。当時のジュニアの指導者は大事な恩師ですね。全国を目指すチームではなかったんですが、私が『全国に出たいです』って監督に伝えたら、監督も『じゃあ、全力で目指そう』と言ってくださったんです。
当時は、自分が拾って打つ、という感じでした。全員が本気で練習し、府大会もいいところまでいったんですが......ある試合で、ジャッジミスを境に相手にブレイクされて、こっちも気持ちが切れちゃって。実力を出しきれずに負けて、人生で一番くらい大泣きしました」
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。




















































