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「錦織二世」と呼ばれた後輩・内山靖崇が練習を見て驚愕 「フォアハンドのスイングスピードがもう、速すぎて......」

  • 内田 暁●取材・文 text by Akatsuki Uchida

錦織圭という奇跡【第37回】
内山靖崇の視点(1)

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 内山靖崇にとって、錦織圭との最初の接点は、人づてに聞く「すごい人」としての逸話だった。

「一番、よく聞かされていたのは『修造チャレンジ』の時ですね。圭くんは僕の3歳上。僕が初めて『修造チャレンジ』の合宿に参加したのは、小学5年生の時でした。

 その頃、もう圭くんはIMGアカデミーに行っていた。修造さんから『錦織圭という選手がいて、彼はこんなふうだった』と聞かされていたんです。

 もちろん圭くん以外にも、一緒にIMGアカデミーに行った喜多(文明)くんと富田(玄輝)くんの名前もよく上がっていましたが、そのなかでも特に修造さんが話されていたのは、圭くんだった記憶があります」

内山靖崇に錦織圭との思い出を振り返ってもらった photo by Ukyo Koreeda内山靖崇に錦織圭との思い出を振り返ってもらった photo by Ukyo Koreedaこの記事に関連する写真を見る『修造チャレンジ』とは、元世界46位の松岡修造氏が立ち上げた、男子ジュニア選手育成・強化プログラム。松岡氏が小学生だった錦織を目撃し、才能あふれる自由なテニスに衝撃を受けたというのは、今や有名なエピソードだ。

 小学5年生の内山は、松岡氏からどのような『錦織エピソード』を聞かされてきたのだろうか?

「すごく褒めていた印象しかないですね」

 内山が穏やかに振り返る。

「テニスが上手なのはもちろん、テニスや合宿への向き合い方についても、修造さんはたくさんおっしゃっていました。あきらめない気持ちや、負けても負けても這い上がり、またチャレンジするハングリーさ。精神面もすばらしかったと聞いていました。僕らからしたら、天才なうえに努力家......とにかくすごい人なんだな、というイメージでした」

 実際に出会う前から、なかば語り継がれる伝説のような存在として知った錦織圭という選手。それは、本格的にテニスに打ち込んでからまだ数年だった少年にとって、あまりに大きな存在だった。

 北海道出身の内山がテニスと出会ったのは、小学2年生の時。当時、中西部の町・滝川市に住んでいた彼は、地元の多くの子どもたちがそうであったように、幼少期からスキーに打ち込んでいた。ただ、テニスを始めてからほどなくして一家が札幌に移ったため、スキー場から足が遠のく。結果的に引っ越しを機に、テニス一本に絞ることになった。

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著者プロフィール

  • 内田 暁

    内田 暁 (うちだ・あかつき)

    編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。

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