「素人」だった山内晶大は、高校3年で初めて夏合宿を体験 練習がきつくて「お茶でおにぎりを流し込んだ」
【トップアスリートの夏合宿】
山内晶大(名古屋市立工芸高)インタビュー@後編
毎日のように顔を合わせた仲間、顧問の声、汗を拭いながら見上げた体育館の天井──。部活に明け暮れた人にも、ほどほどに楽しんだ人にも、それぞれの夏の記憶がある。高校からバレーボールを始めた山内晶大(大阪ブルテオン)もまた、ごく普通の高校生として部活の日々を送っていた。
しかし、高校3年生の夏、それまでとは異なる世界に足を踏み入れたことで、その後の人生を左右する変化が生まれる。なぜ、山内はバレーボールに本気で向き合うようになったのか。日本代表へと続く道の始まりと、今だからこそ伝えたい部活の意味を聞いた。
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山内晶大は愛知学院大3年の時に初めて日本代表に選ばれた photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 男子日本代表の一角として第一線に立ち続ける山内晶大の高校生活は、いたって「普通のスクールライフ」だった。部活自体は練習の頻度も強度も高くなく、夏休みの期間も半日で活動が終われば、あとは部員同士で遊びに興じる。
インターハイや春高といった大舞台とは無縁──。県大会どころか、地区大会の、それも一回戦負けは茶飯事だった。
「そもそも自分たちが出ている大会が、何なのかもわからないほどでしたから。(春から夏に行なわれる)インターハイ予選で負けたからといって、特に夏休みの取り組み方が変わることはなく、いつもどおりの部活動のままでした」
そんななか、県内の強豪校や大学の指導者たちが偶然、山内の在籍する名古屋市立工芸高等学校に足を運んだ。そのことをきっかけに、山内の存在が日の目を見ることになる。それが高校2年の終わり頃で、当初考えていた卒業後の進路も変わることになった。
「もともと、顧問の先生から紹介してもらっていた大学も、バレーボールで行けるのであればラッキー......と思っていました。その頃にはバレーボールも、少しずつできるようになっていたので。
そうした時に、愛知学院大学からも声をかけてもらえている、と顧問から言われたんです。『それならば、レベルの高いところでやりたい』と思い、進路を決めました」
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著者プロフィール
坂口功将 (さかぐち・こうすけ)
1988年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学時代に「スポーツを
取材する」ことの虜になり、不動産会社を経て2016年春から日 本文化出版(株)「月刊バレーボール」編集部で勤務。 2023年末に独立し、バレーボールを中心に取材・ 執筆活動を行なう。小学生から大学生、国内外のクラブリーグにナシ ョナルチームと幅広いカテゴリーを扱うほか、 バレーボール関連の配信番組への出演やイタリア・セリエAの解説 も務める。












