山内晶大はなぜ部員6〜7人の弱小バレー部に? 夏休みも練習2時間だけ、バイトで休みもOKな「ゆるさ」に惹かれた
【トップアスリートの夏合宿】
山内晶大(名古屋市立工芸高)インタビュー@前編
夏の体育館に響くシューズの音、まとわりつく熱気、練習後に仲間と過ごしたひととき──。「部活」や「夏合宿」という言葉は、時が経っても色あせない記憶を呼び起こす。男子バレーボール日本代表として活躍してきた山内晶大(大阪ブルテオン)にも、原点となった学生時代の夏がある。
ただし、その歩みはトップアスリートという肩書から想像されるものとは、少し違っていた。中学まで続けた競技を離れ、高校から始めたバレーボール。何げなく選んだ一本の道は、どのように現在へとつながったのか。懐かしい夏の風景とともに振り返る。
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中学ではバスケットボール部に所属していた山内晶大 photo by 本人提供この記事に関連する写真を見る 身長204cmの高さを武器に、バレーボール男子日本代表として2度の五輪出場を果たしている山内晶大(大阪ブルテオン)。そのキャリアを紐解くと、バレーボールを始めたのは高校に進学してからという、トッププレーヤーとしては遅咲きの部類に入る。
そもそも幼少期からサイズに恵まれ、小・中学生の頃はバスケットボールに励んでいた。その当時の山内は、いわゆる「部活漬け」の夏を送っていたという。
「夏休みは毎日、部活でした。休みは一日あるかどうか。朝から夕方まで練習していました」
記憶を呼び起こしてもらうと、山内は苦笑いを浮かべた。
「バスケットボール自体は前向きに取り組んでいました。ただ、顧問の先生がとにかく怖くて(笑)。どちらかといえば、『やらされていた』感覚のほうが強かったかもしれません」
夏休みの期間も部活のため、学校に足を運ぶ。中学の体育館にはコートが一面しかとれず、バスケットボール部は男女両方あったため、練習時間も分けられていた。かといって、ボールを触っていない時間には走り込みが待っており、さらには体育館のとなりの部屋で夏休みの宿題を命じられることもしばしば......。
「女子が体育館で練習していて、僕たちが宿題をする時間が始まったばかりの時には、『まだ先生も見に来ないでしょ〜』なんておしゃべりしていました。でも、そこに顧問の先生がやって来るわけです。
ある日、ひとりが勉強しながらガムを噛んでいると、それがバレて......もう、めちゃくちゃ怒られる、なんてこともありました」
ちなみに、山内自身は「勉強が嫌いだった」とのことで、その時間がどのようなものだったかは想像がつくだろう。
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著者プロフィール
坂口功将 (さかぐち・こうすけ)
1988年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学時代に「スポーツを
取材する」ことの虜になり、不動産会社を経て2016年春から日 本文化出版(株)「月刊バレーボール」編集部で勤務。 2023年末に独立し、バレーボールを中心に取材・ 執筆活動を行なう。小学生から大学生、国内外のクラブリーグにナシ ョナルチームと幅広いカテゴリーを扱うほか、 バレーボール関連の配信番組への出演やイタリア・セリエAの解説 も務める。












