錦織圭に刺激を受けて世界へ 鳥取の大学生インストラクターが「国内有数のガット張り職人」になるまで
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錦織圭という奇跡【第16回】
玉川裕康の視点(2)
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「おかしな話ですけど、圭がアメリカに行ってからは、圭には負けたくないなって。圭がその道を行くんだったら、自分もストリンガーとして行きたいなって......。そういう目標みたいなのがあったんですよ」
懐かしそうに、そして少しこそばゆそうに、玉川裕康氏が自分の『原点』に思いを馳せた。
錦織のガットの張り替えは玉川氏が担当するようになった photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 玉川氏と錦織圭との出会いは山陰地方、25年ほど時をさかのぼる。かたや島根県松江市出身のテニス少年で、かたや鳥取県鳥取市のテニスクラブでインストラクターとして働く大学生だった。
ふたりがともに過ごした数年の間に、錦織少年は小学生の全国タイトルを総ナメにし、中学2年生の秋には、盛田正明テニスファンドの奨学生として海を渡る。一方で玉川氏は、ラケットにストリング(ガット)を張るストリンガーとしての道を、本格的に歩み始めた。
「最初は、テニスコーチとストリンガーを両立させたいなと思っていたんです。でも、時間のバランスがうまく取れなくて、テニスショップを経営しながら、大会でストリンガーをすることにしたんです」
ストリンガーの道一本に絞り、独り立ちする覚悟を決めたのが29歳の時。既存のショップに勤めるのではなく、地元の鳥取に自らの店を構えた。くしくも錦織も、ジュニアから"オトナ"へと移行し、トッププロへの道を歩み始めた頃合いである。
「いきなり自分で店を開いたんです。根拠のない自信があったんですよね。こういう業界の怖さを知っていたら、たぶんできてないです。田舎に生まれ育ち、都会に憧れて、『ああいうショップの、ああいう人になりたい』と思っていた。グランドスラムなどの大きな大会で張っているストリンガーの方を見て、それに憧れ『自分もそうなりたい』と思った、田舎もんだったんです。
でも、それでよかったと思うんですね。変に情報過多にならなかったから、純粋に夢も見られた。余計な情報も、周りからかけられるプレッシャーもあまりない。圭が世界を目指して旅立ったので、そういうものなのかなと思ったから、自分もできた。『いっちょ、やってみるか!』みたい感じで、踏み出せたと思います」
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。













