【男子バレー】ウルフドッグス名古屋の山田脩造が振り返る、柳田将洋らとの切磋琢磨「どこに行っても意識していた」
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(39)
ウルフドッグス名古屋 山田脩造 前編
ウルフドッグス名古屋で10年以上プレーする山田脩造 photo by スポーツ報知/アフロこの記事に関連する写真を見る
【バレーのおかげで世界が広がった】
――現役生活を、どう終わりたいですか?
33歳のベテランだからこそ、失礼を承知で訊いた。バレーボールの世界では30代に入ると、現役選手が少なくなる。トップリーグで10年以上プレーを続けてきたウルフドッグス名古屋のアウトサイドヒッター、山田脩造もキャリアの終焉と背中合わせだ。
しかし、山田は間髪を入れずに答えた。
「やりきったと思うことは、たぶん、これからもないと思います。"できること"は、自分ではずっとあるものだと思っているんです。だから、チームが僕を必要としないと判断しない限りは、できるだけバレーにしがみついて生きていきたいですね」
そこまで擦りきれず、バレーを好きでいられるものだろうか?
福岡県糟屋郡須恵町に生まれ育った山田はふたつ上の姉の影響を受け、小学3年でバレーを始めた。
「最初はバレーをやるつもりはなかったし、スポーツに楽しみを見出せない、内向的な人間でした。水泳は楽しくなかったし、野球やサッカーもハマらなかったんです」
山田は言うが、体育館で姉がバレーをしている横で、同年代の男の子たちと遊ぶのが好きだった。何より、大学生だった監督の娘が、一緒に遊んでくれる時間が楽しかったという。
「見よう見まねでバレーをやって、うまくできると褒めてもらえたんです。それで『男子チームもあるよ』と言われたので、入ることにしました」
"初恋"から始まったバレーに、徐々にのめり込んでいった。
「チームに入ったあとは"バレーができるようになるのが楽しい"となりました。自分だけができることとか、今振り返ると、その優越感もあったかもしれません。初めての試合は地区大会だったと思うんですが、初めてのサーブがエースになって。しょぼいサーブでしたが、『試合でやるバレーは楽しい!』という感覚は今も覚えています」
6年生の時には全国大会にも出場した。しかし失敗に対して、チームメイトが叱責を飛ばすようになるなど、強いチーム特有の"競技感"が強くなったという。それが楽しさにブレーキをかけたが、チームメイトと同じ中学に進んでバレーを続けると、アクセルが全開になった。
「バレーのおかげで、小さな町からどんどん世界が広がったんです」
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。




















































