【男子バレー】ウルフドッグス名古屋の山田脩造が振り返る、柳田将洋らとの切磋琢磨「どこに行っても意識していた」 (2ページ目)
【"平成の三羽烏"と呼ばれた高校時代】
中学1年ではリベロで試合に出て、JOC(ジュニアオリンピックカップ。各都道府県の選抜チームで争われる全国大会)の福岡県代表に選ばれると、セッターも経験した。全国の常連になって、飛び級でユース代表にも入った。そして高校は、小学校から一緒だった仲間とは別れて福岡大大濠に進学した。
「小学校の時にお世話になった監督の娘さんの彼氏が、大濠のOBだったんです。自分が小学6年で全国に出た10年ほど前に、同じチームのキャプテンとして全国まで行った人で。その人にも遊んでもらって『かっこいいな』と思っていました。だから、小学生の時から大濠に行くのを決めていたんです(笑)」
なかなかユニークな決意だった。しかしその高校時代は、柳田将洋(東京グレートベアーズ)、池田隼平(ビーチバレーボール選手)と並んで、"平成の三羽烏"と呼ばれた。
「中学時代、先に花が咲いたのは僕でした。中学までのふたりは、そこまでの選手ではなかった。当時は『自分よりもすごい選手は同年代にいない』と自負するほど、天狗になっていたかもしれません。ユース代表にも選ばれていたから、自分が最前線を走っていると思っていました」
しかし高校では、柳田の台頭が目覚ましかった。
「マサ(柳田)が急に出てきた感じで、『すごいやつがいる』と言われ始めて。それでふと、小学校の全国大会に出た時の彼のスピーチを思い出したんです。『東京代表で話がすごくうまくて、プレーもうまいって思ったのがマサだったな』って。向こうもこっちを気にして、こっちも向こうを気にして、試合をする時は気持ちが入りました」
高校2年時の春高バレーでは、3回戦で柳田を擁する東洋高校(東京)と対戦し、敗れている。高校3年のインターハイでは決勝に進んだが、東洋は準決勝で敗れ、対戦はなかった。結局、直接対決は一度だけだったが......。
「『三羽烏』と言われて、お互いが、どこに行っても意識していましたね。『あいつが活躍しているんだから』という思いは、3人とも持っていたはずです」
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