2022.04.14

甲子園のヒーロー吉永健太朗はなぜプロに進めなかったのか。「いろいろと手を加えてしまったのがいけなかった」

  • 石塚 隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo yoshiyuki

2011年夏の甲子園優勝投手・吉永健太朗インタビュー後編
(前編から読む)

日大三高のエースとして2011年夏の甲子園を制した吉永健太朗さん日大三高のエースとして2011年夏の甲子園を制した吉永健太朗さん この記事に関連する写真を見る

プロ志望届を出さなかった理由

 甲子園優勝後、高校ジャパンに選ばれた吉永健太朗さんは、アジア野球選手権に出場し、最優秀防御率勝を獲得した。

 本人いわく「まったく打たれる気がしなかった」というほどの出来だった。当然、プロ行きも噂されたが、吉永さんはプロ志望届を提出せず、早稲田大学に進学した。ドラフト上位指名も夢ではなかったが、なぜ吉永さんはプロへ進まなかったのだろうか。

「じつは球威の上がった高校2年くらいからフォームが不安定になり、肩への負担が大きくなってしまったんです。結果、ケガがすごく増えてしまって、痛みのある状態で投げることもありました。この状態だとプロでやっていくには、まだ未熟だなと思い大学へ進むことを決めました」

 フォームの再現性も乏しければ、フィジカルも足りない。吉永さんは「4年後のドラフト1位」を目指し、早大でレベルアップを目指した。大学1年の時に早くも春のリーグで4勝し、ベストナイン、最優秀防御率投手に選出された。上々のスタートを切ったと思われたが、そんな表向きの成績とは裏腹に吉永さんの心中は複雑だった。

「いい結果が出てしまっていた、というのが正直なところです。まったく投げていてしっくりこなかったし、フォーム自体もハマっていませんでしたね......」

焦りで見失ってしまった方向性

 気持ちよく腕が振れず、思うようなボールがいかないジレンマ。吉永さんは試行錯誤を繰り返すが、理想からは乖離するばかりで、その後も納得のいく結果を残すことができなかった。なぜ、負のスパイラルに陥ってしまったのだろうか。

「いろんな要素が考えられると思うのですが、高校時代は実戦がメインだったのでフォームがよかろうが悪かろうが考えている暇はありませんでした。しかし、大学生になると、自分で考える時間が増えますし、細かい部分が気になってしまい、いろいろと手を加えてしまったのがいけなかったかもしれません」

 吉永さんは小さくうなずきながら続ける。

「ドラフト1位でプロにいくために大学にきたんだろって思いもありましたし、現状維持のままでは評価につながらないという不安もありました。そういったこともあり、考え方が少し間違った方向に行ってしまったのかもしれません......」