九州国際大付・楠城祐介監督が語る波乱の野球人生 「恥ずかしくないですか?」 プロスカウトだった父に問い続けた日々
九州国際大付・楠城祐介監督インタビュー(前編)
福岡県屈指の強豪校である九州国際大付は、小倉の10度に次ぐ夏9度の甲子園出場を誇る。平日は4時間授業を終えた後、北九州市八幡東区枝光の校舎からバスを30分ほど走らせ、同市若松区蜑住(あまずみ)にある専用グラウンドに移動。午後2時30分ごろから練習がスタートする。
2023年8月に勇退した父のあとを継ぎ、九州国際大付の監督になった楠城祐介氏 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る
【選手たちに余白を残す指導方針】
ほかの強豪校のように室内練習場や、豪華なウエイト器具があるわけではない。ただ、就任2年目の楠城祐介監督(元楽天、ヤクルト)は、グラウンドが2面ある環境を有効に利用している。
「A班がシートノックを終えて、B班がシートノックをする時に、もう一つのグラウンドでA班がバッティングを始めるというような流れですね。どちらかというと同じ練習を繰り返して、いろいろと迷わせないようにしています。人工芝でスタジアムのような環境もすごいとは思いますが、自分はこの環境がすごく気に入っています。子どもたちの野球の時間や、ボールを扱うことに関しては、ほかの高校より長くできていると思っています」
シートノック、打撃練習とルーティンワークをこなし、自主練へと移行したあと、18時過ぎにはグラウンド整備を終え、バスで学校内の寮へと戻っていく。土日の練習も、午前10時から14〜15時ごろには終了。オフシーズンは日曜を休日に充てることもある。選手たちに「余白」を残してやるのが楠城流の指導方針だ。
「練習をダラダラ長くやってもいいわけではありません。前監督の時からそういうスタイルなので、指導者として休ませることが怖いとか、そういうのはありません」
「前監督」とは、実父・楠城徹さんのことである。徹さんは小倉時代の1969年春の選抜大会に出場すると、早稲田大を経て、1973年ドラフト2位で太平洋(現・西武)に入団。捕手として活躍し、1980年限りで引退後は、西武で九州地区担当スカウトや一軍ヘッド兼バッテリーコーチ、スカウト部長などを歴任。2004年オフに30年在籍した西武を退団し、翌2005年から2012年まで楽天の編成部長やスカウト部長を務めた。
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう



























