佐々木則夫が衝撃を受けた明治大サッカー部の寮生活 「普通のヤツとは違う」木村和司が起こした伝説の"事件"
木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第28回:佐々木則夫評(2)
JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。
明治大在学時の寮生活と同期の木村和司氏について語る佐々木則夫氏 photo by Miki Sanoこの記事に関連する写真を見る
第27回◆名門・帝京のキャプテンを務めていた佐々木則夫、木村和司の第一印象は?>>
明治大へと進学した佐々木則夫は、すぐにサッカー部の寮に入ったものの、はじめはそこでの生活になかなか馴染むことができなかったという。
なぜなら、「寮の共通語が広島弁なんですよ」。同じ新入生ながら、県立広島工業高出身だった木村和司は、おそらくその慣習にもたちまち馴染んだはずである。
「もう何代にもわたって広島から明治大に来ている人がいるので、寮の人間がみんな広島弁を使うんですよ。(4年時にキャプテンとなる同級生の)田中喜生も(出身は)東京なんですけど、すぐ広島弁がうつってね。意外に関東のヤツって、染まりやすいんですよ(笑)」
佐々木は、父親の仕事の関係で東京、埼玉に移り住んだとはいえ、もともとは山形で生まれ育った。そんな東北人にとって、西の言葉は馴染みがないばかりか、どこか粗暴な響きをともなって聞こえたのである。
「『わりゃ』とかっていう広島弁がちょっと......、まだ全然、お互い知り合って間もないのに、もうズケズケと入ってくるような感じがするわけですよ。
僕は、まだそのとき人間ができてなかったというかね、関西弁もあまりこう......、ちょっとダメな感じだったんで......。だから、どうも広島弁を受け入れられない感覚があったんです」
佐々木にしてみれば、「僕はどうもしっくりこなかったので」広島弁を使うことはなかった。だが、他の部員たちが当たり前のように口にしている様を見ながら、「ここは広島でもないのに、『なんだ、こいつら?』って感じでした(苦笑)」。
自分は帝京高出身で全国優勝もしている、いわばエリート。「多少はそういう意識もあったかもしれないね」と笑う佐々木は、「『わりゃ』じゃなくて、『君はさ』って言ってほしかったね」と、およそ50年前の寮生活を冗談めかして振り返る。
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