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【高校野球】吉見一起と紡いだ絆 監督と築いた奇跡 金光大阪の名物部長43年の "最大のタイムリーヒット"とは?

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

金光大阪「伝説の部長」櫻井富男インタビュー(後編)

 金光大阪野球部の歴史の扉を開いた吉見一起との思い出は、高校卒業後にも広がっていく。吉見はその後、トヨタ自動車を経て、2005年のドラフト希望枠で中日に入団。その知らせに、熱心な中日ファンだった櫻井富男の両親は大いに喜んだという。

教え子である吉見一起(写真左)の仲人も務めた櫻井富男(写真は本人提供)教え子である吉見一起(写真左)の仲人も務めた櫻井富男(写真は本人提供)この記事に関連する写真を見る

【父の誇りだった吉見一起の仲人】

「とにかく、親父とおふくろが喜んでくれたのが、私にとってもうれしかったですね。この2月で親父が亡くなって1年になりますが、棺のそばには、吉見が中日を引退した時の『月刊ドラゴンズ』を一緒に置いたくらい、中日も吉見も大好きでした。

 私は吉見の仲人も務めたのですが、それがまた親父の自慢でしてね。晩年は入院生活が続いていたのですが、どこの病院でも『ウチの息子は吉見の仲人をした』と話していたみたいで。見舞いに行くと、まず看護師さんから『吉見選手の仲人をされたんですね』と言われるほどでした。だから私にとって、一番の親孝行は、吉見が中日に入ってくれたことでもあるんです」

 櫻井はこれまでに2組の仲人を務めており、1組が吉見、もう1組が横井一裕だ。26年前、"先生"と"生徒"として始まった関係は、やがて部長と監督という立場へと変わり、じつに約30年にわたって続いてきた。

 櫻井に監督・横井について尋ねると、自慢の教え子を語る師のように、言葉が次々とあふれ出してきた。

「何より感心するのは、とにかく妥協しないところです。たとえば翌日に大会が控えていて時間がないときでも、やるべきことだけを済ませて生徒を帰し、自分は明日の作戦を考えればいいと思うような場面でも、ボールがひとつ落ちていたり、何か引っかかることがあれば、いつもどおりしっかり話をする。今日やるべきことは、その日のうちにやりきる。そのあたりは徹底しています。

 50歳を過ぎて少し丸くはなってきましたが、今でも練習では声を張り上げて、『おかしいことはおかしい』『間違っていることは間違っている』とはっきり伝えています。ただ、それもすべて子どもたちを思ってのこと。とにかく愛情が深いんです。彼が最も憧れている監督は澤井龍平ですが、その澤井さんも同じような方でした。だから横井が監督になってから10年くらいは、叱り方もミーティングでの話もよう似ていましたね」

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著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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