【高校野球】スターも寮もないチームで甲子園4度 金光大阪を支え続けた"伝説の部長"のラスト
金光大阪「伝説の部長」櫻井富男インタビュー(前編)
甲子園球場で行なわれる選抜大会の決勝日(3月31日)が、野球部長としての最後の一日となる。激戦区・大阪で金光大阪の野球部を40年以上にわたり部長として支え続けてきた櫻井富男が、いよいよ退職の時を迎えようとしている。
「最後の日は、親しくさせていただいている高田商業(奈良)が練習試合に来てくれる予定なので、指導者の方々にあいさつをして、最後にウチの選手たちにも少し話をしようかなと思っています。天気がよければいいんですけどね」
今年3月いっぱいで金光大阪の部長を退任する櫻井富男氏 photo by Shiro Tanigamiこの記事に関連する写真を見る
【1207人の教え子】
コアなファンが増えた情報時代とはいえ、「櫻井富男」の名を聞いてピンとくる人は、どれほどいるだろうか。チームによっては技術や戦術面の指導に積極的な部長もいるが、櫻井はそのタイプではない。
試合中はベンチの奥に立ち、選手の動きに目を凝らし、ときおり気合の声を飛ばす。試合後はベンチ裏で手際よく選手に指示を出し、帰り支度を促す。普段は裏方に徹しながらも、何気ないやりとりの端々から温かさと実直さが伝わってくる。
創立44年を迎える金光大阪(旧・金光第一/大阪府高槻市)で、野球部顧問を43年務め、監督兼任の約3年を含めて部長として42年、66歳となった今日まで、野球部、そして選手たちを見守り続けてきた。
「コレ、見て下さい」
メガネの奥の目を細め、手にしていたのは、この春巣立っていった3年生の野球部員38名(マネージャーを含む)のうちのひとり、イラストの専門学校へ進む生徒から贈られた似顔絵だった。優しいタッチで描かれた柔らかな笑み。その作品からは、生徒の櫻井への思いが伝わってくるようだった。
これまでに送り出した教え子は、じつに1207人。大好きな野球と子どもたちに囲まれた時間は、「本当にあっという間」だったという。
櫻井の生まれは、愛知県名古屋市。両親ともに熱烈なドラゴンズファンという家庭で育ち、小学校から野球に親しんだ。中学、高校と公立校で野球を続け、高校時代は「セカンドをやったり、外野を守ったり」と、目立つ存在ではなかった。
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著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。





















