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【高校野球】スターも寮もないチームで甲子園4度 金光大阪を支え続けた"伝説の部長"のラスト (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Shiro Tanigami

2007年に初めて夏の大阪大会を制した金光大阪。後列右端が櫻井富男氏(写真は本人提供)2007年に初めて夏の大阪大会を制した金光大阪。後列右端が櫻井富男氏(写真は本人提供)この記事に関連する写真を見る「このあたりの中学校の野球を見て回るなかで、『いいショートがいる』と聞いて訪ねたのが吉見でした。スローイングがすばらしく、ヒジの使い方も柔らかい。顧問の先生やご両親ともお話しさせていただき、『ウチはまだ新しい学校なので、しがらみにとらわれず思いきり野球ができます』とお伝えしました。ぜひ来てほしいと思っていたところ、本当に来てくれたんです」

 櫻井は当初、遊撃手としての吉見に惚れ込んでいた。三遊間の深い位置から踏ん張って放つ一塁送球に目を奪われ、打力も兼ね備えている。「ショートを守ってクリーンアップを任せられる選手だったと思います」と当時の評価を口にする。

 だが、いざブルペンでの投球を目の当たりにすると、この選手が進むべき道ははっきりと見えたという。

「柔らかいフォームから繰り出されるボールは、とにかくコントロールがよく、キレもある。たしか1年のまだ1学期の頃、お付き合いのある硬式クラブチームの代表の方が見に来られて、『君な、一生懸命やれば、ひょっとしたらプロに行けるかもしれんぞ』と吉見本人に声をかけたんです。それだけモノが違っていたのでしょう」

 選抜では初戦で明徳義塾(高知)に敗れたものの、初の甲子園出場に学校は大いに沸き、野球部への入部志願者も大幅に増加した。以降、金光大阪は計4回の甲子園出場を果たしている。

 ちなみに、2000年以降の大阪勢を見ると、大阪桐蔭、履正社の出場回数が群を抜いているが、その2校に続くのが6回出場のPL学園、そして4回の金光大阪である。

 特別なスター選手が揃っているわけでもなく、寮もない。夏になると毎年100人規模の大所帯をやりくりしながら積み上げてきた成果である。

「横井も澤井監督と同じで、来る者は拒まず。入部届を持ってきたら『一緒にやろう』というスタイルなんです。そのなかでの甲子園4回出場は、自分のチームながら大したものだと思います。中田翔(元日本ハムほか)が4番でエースだった大阪桐蔭を大阪大会決勝で倒し、初めて夏の甲子園に出場した時のエース・植松(優友/元ロッテ)も、中学では軟式出身。ふつうに受験して入学し、最初はサッカーにしようか野球にしようか迷った末に野球部に入ってきた子でした。それでも、左投げで上背もあったので『もしかしたら......』と横井や当時のコーチが期待して育てていったら、あそこまで成長したんです」

 いかにも金光大阪らしいエピソードだ。時代ごとの選手たちの顔が、次々と脳裏に浮かんでくるのだろう。櫻井の回想は、40年余りの歳月を行き来しながら、ゆったりと続いていった。

つづく>>

著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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