【高校野球】スターも寮もないチームで甲子園4度 金光大阪を支え続けた"伝説の部長"のラスト (2ページ目)
中京大では野球は続けず、教職課程の履修を目指す一方、空き時間には母校の中学や高校で野球部の手伝いをしていた。そんな大学4年のある日、中学時代の野球部顧問から思いがけない誘いを受ける。
「今年、大阪に開校した私立高校で、来春から野球部の監督をすることになった。コーチとして一緒に来てくれないか」
教員の人気が高く、採用のハードルも厳しい時代だった。ありがたい誘いではあったが、当初は県内の中学校で保健体育の教員になることを考えていた。「試験に受からなかった場合でもよろしければ......」と伝えたうえで受験したものの、結果は不合格。もともと倍率が高く、体育志望であればなおさら厳しかった。
こうして1983年春、恩師とともに開校2年目の金光第一へ赴任することとなり、特段縁のなかった大阪での暮らしが始まった。
【横井一裕との二人三脚】
野球部指導1年目は、恩師が監督と部長を兼任し、櫻井はコーチを務めた。まだ同好会のような雰囲気が残っていたチームは、この年に日本高校野球連盟へ加盟する。
当時、PL学園の清原和博、桑田真澄の"KKコンビ"が誕生し、大阪の高校野球熱が一気に高まっていた時期でもあった。
しかしその3年間、金光第一は夏の大阪大会で初戦敗退がつづく。1勝が遠い新鋭校にとって、その熱狂はまだ別世界の出来事だった。
そして櫻井が赴任して4年目に監督が交代し、後任には日本体育大出身で、現役時代に神宮大会でMVPを獲得した経験を持つ澤井龍平が就任した。
櫻井が言う。
「大阪の公立校の島上(現・槻の木)出身で、粘り強い全員野球が持ち味。指導者も生徒も、普段の学校生活を大切にしながら野球にも全力で向き合う。そんな"金光野球"の土台をつくってくれた方です」
澤井と櫻井による新体制で臨んだ1986年夏、金光第一は柏原東を2対1で下し、夏の公式戦初勝利を挙げた。
石拾いから始めたグラウンドも徐々に整備され、選手も少しずつ揃うようになった。そんななかで「横井(一裕/現・金光大阪監督)が入ってきたんです」と櫻井は振り返る。横井は1年時から二塁のレギュラーを務め、2年夏にはチームをベスト4へと導く快進撃を見せた。
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