【高校野球】スターも寮もないチームで甲子園4度 金光大阪を支え続けた"伝説の部長"のラスト (3ページ目)
のちに金光大阪の難敵となる大阪桐蔭が、甲子園初出場の春につづいて連続出場を果たし、日本一に輝いた1991年夏のことだ。この前後、1990年の選抜で近大附、1993年の選抜では上宮が優勝を果たし、PL学園一強時代から新たな流れが生まれつつあった時代だった。
そのなかで金光も存在感を高めていくチャンスだったが、1995年春、校内人事によりチームを力強く率いてきた澤井が系列校の金光八尾へ異動。櫻井が監督を任されることとなった。
「サインの出し方から勉強しながらのスタートでしたので、しんどかったですね。客観的に見ても、自分は監督向きではなかったと思います。そこへ6月に大阪体育大の4年だった横井が教育実習で戻ってきたんです。だからすぐに『一緒にやるぞ!』と声をかけました。大学の単位もほとんど取り終えていて、野球部も引退していたので、3月まで手伝ってもらいました」
一方で櫻井は、横井について校長にこう進言していた。
「教育実習での授業を見ても、教師としての適性は間違いありませんし、人間的にも非常にしっかりしています。体育教員として本校に迎え入れれば、将来の野球部監督としても適任だと思います」
翌春から横井が非常勤講師として採用され、野球部ではコーチも務めることになった。夏の大会が終わった頃、再び櫻井が横井に言った。
「新チームから監督せぇ! オレも支えるから今から勉強や」
若干23歳の横井新監督が誕生し、ここから部長・櫻井との長きにわたるコンビが始まった。やがて校名も金光大阪へと変更され、新体制5年目の2002年、ついに初の甲子園となる選抜大会の出場を決める。
【吉見一起を擁して初の甲子園】
2001年秋には初めて大阪大会を制し、近畿大会でも準優勝。その快進撃を支えたのが、今春開催されたWBCで侍ジャパンの投手コーチも務めた吉見一起だった。
その吉見との出会いについて、櫻井はこう振り返る。
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