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「木内マジック」を知り尽くす元常総学院監督・佐々木力が郁文館の指揮官として挑む甲子園への道

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

木内マジック×ノムラの教え〜郁文館高校の挑戦(前編)

 高校野球発祥の地と言えば、甲子園ではなく、第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)が行なわれた大阪の豊中グラウンドが有名だ。

 それでは、高校野球発祥のひとつとして数えられる学校が東京にあるのはご存じだろうか。1889年創立の郁文館(東東京)は、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する「落雲館中学校」のモデルとされている。野球部は開校まもなくして、当時国内最強の呼び声が高かった旧制一高(現・東京大)の練習相手として創部されたという記録が残る。

郁文館の佐々木力監督(写真右)と座主隼人コーチ photo by Uchida Katsuharu郁文館の佐々木力監督(写真右)と座主隼人コーチ photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る

【間近で見てきた弱者の兵法】

 昨年1月。その由緒ある高校の監督に、常総学院(茨城)を春夏6度の甲子園に導いた佐々木力さんが就任した。取手二(茨城)で全国制覇を果たした選手時代、そして常総学院コーチ時代と、名将・木内幸男監督に師事し、指導者としての礎を築いてきた。

 今春からは社会人野球のシダックス時代に野村克也監督の指導を受けた座主隼人(ざす・はやと)さんをコーチとして招聘。荒川河川敷のグラウンドから虎視眈々と東東京制覇を目論む。

「木内野球は、弱いチームが強いチームに勝つにはどうしたらいいんだというところが原点だと思っています。郁文館は歴史的には長い野球部なのですが、まだ一度も甲子園には行っていないので、やりがいはありますね」

 木内さんのモットーでもあった「弱者の兵法」を間近に見てきた。思い出されるのは取手二時代の1984年夏の甲子園だ。初戦(2回戦)で優勝候補の一角に挙げられていた箕島(和歌山)の本格派右腕・嶋田章弘(元阪神ほか)を8回に攻略し、5対3で逆転勝利。

 勢いに乗ると、3回戦の福岡大大濠戦で8対1、準々決勝の鹿児島商工(現・樟南)戦で7対5、そして準決勝の鎮西(熊本)戦では、"杉浦忠2世"と呼ばれたサブマリン投法の松崎秀昭(元南海)を打ち崩して18対6と、さまざまなタイプの投手から大量点を奪ってきた。

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著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

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