野村克也の薫陶を受けた男が郁文館のコーチとして再出発 「当たり前に挨拶や返事をすることが試合で生きる」
木内マジック×ノムラの教え〜郁文館高校の挑戦(後編)
高校野球発祥の学校のひとつとして数えられる郁文館高(東東京)に、今春から新たな「戦力」が加わった。座主隼人(ざす・はやと)コーチは、旧制一高(現・東京大)の練習相手として創部された記録が残る由緒ある高校の野球部を初の甲子園に導くべく、常総学院(茨城)を春夏6度の甲子園に導いた佐々木力監督に請われる形でやってきた。
今年から郁文館のコーチとして指導にあたっている座主隼人コーチ photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る
【寮監も務める外部コーチ】
社会人野球のシダックス時代に野村克也監督の指導を受けた熱血漢は、柔らかい関西弁で選手たちを鼓舞する。
「外部コーチは4人いますが、常勤は僕だけですね。一応は捕手出身なので、基本的にはバッテリーを中心に見ようとは心がけてはいますが、ノックを打ったり、バッティングも教えたりと、全体的に見ている感じです」
普段は寮監を務め、選手たちと寝食を共にする。学校、寮、グラウンドまで送迎するため、バスのハンドルも握るなど、グラウンド内外でのオールマイティな活躍に、佐々木監督も「本当に真面目でビックリしました。仕事をキチッとやってくれるので、本当に助かっています」と感謝する。
その球歴は華々しい。智辯学園(奈良)時代は4番捕手として1998年夏の甲子園に出場。立教大では三塁手へと本格転向した3年春の東京六大学リーグでベストナインを獲得し、2003年に野村克也さんが新監督に就任したシダックスに入社した。
NPBで捕手として戦後初の三冠王に輝くなど通算657本塁打を放ち、監督としてヤクルトを3度の日本シリーズ制覇へと導くなど、数々の金字塔を打ち立てた「ノムさん」の印象は「普通のおじいちゃん」と笑うが、その観察眼に驚かされることは多かった。
「練習中に寝ているんですよ(笑)。みんなも最初『なんや、寝てんのかいな』という雰囲気だったんですけど、練習で手を抜く人とかをしっかり見ているんですよ。試合中も投球練習からずっと投手を見ていて、初球の入りや癖、配球に関してもすごかったですね」
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著者プロフィール
内田勝治 (うちだ・かつはる)
1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう