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野村克也の薫陶を受けた男が郁文館のコーチとして再出発 「当たり前に挨拶や返事をすることが試合で生きる」 (2ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

 シダックスには当時、キューバ代表の主力野手として長く活躍していたオレステス・キンデランや、アントニオ・パチェコが在籍。野村監督も審判が理解できないスペイン語を覚え、チーム内の"共用語"として、球種やコースを伝え合っていたという。その指示はズバズバ的中した。将来的には捕手への再転向も打診されていた座主さんは、ボソボソとしゃべる指揮官の一言一句を聞き漏らすまいと、ベンチでは横に座り、配球を勉強していった。

【野村監督から贈られた新品グラブ】

 野村監督もそんな座主さんを目にかけていた。ある時、沙知代夫人と初対面で挨拶した際、「立教の座主か。旦那が期待しているぞ!」と声をかけられた。またある時は、田中善則コーチから「ノムさんがおまえのバッティングのテイクバック、タイミングの取り方を『あれはいいぞ』と絶賛しているよ」と聞いた時は、本当にうれしかった。

「シダックスに入って、すぐに野村監督から新品のグラブをいただきました。期待してくれているのかなとは感じていましたね」

 そんな寵愛を受けながら、持ち前の長打力に磨きをかけていき、プロも狙える大型野手へと成長。ただ3年目の2005年、日本選手権予選前に極度の腰痛に見舞われてしまう。

「立っていても寝ていてもしんどかったので、野村監督に『チームに迷惑はかけられないんで』と欠場を申し出たら、そんなに大したことじゃないと思ったらしく、『そんなこと言うてる場合ちゃうやろ』と。ただ、翌日に入院しました』

 病院で検査の結果、椎間板ヘルニア、腰椎分離・すべり症を併発していることが判明。野村監督から腰の名医を紹介され、都内の病院で手術を行なった。

「野村監督は『そんなに酷かったんか。頑張ってたんやな』と気遣ってくれました。このケガがずっと心に引っかかっていたみたいで、『傷持ちはプロじゃ厳しいと思う』と言われたことがすごく印象的でした」

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