野村克也の薫陶を受けた男が郁文館のコーチとして再出発 「当たり前に挨拶や返事をすることが試合で生きる」 (3ページ目)
その後、復帰こそできたが、感覚のズレは最後まで修正できず、同年オフに現役を引退。シダックスも退社し、地元の大阪へと戻った。くしくも、翌2006年から楽天監督に就任した野村監督と、入部も退部も同じタイミングだった。
「野村監督にプロは厳しいと言われたら、もうしゃあないなと思ってあきらめがつきました。シダックスに入る時も、メディアの注目度が高かったので、そのチームからプロに行けなかったら、もう辞めようと思っていました」
【昌平高校で5年間コーチ】
その後は大阪でサラリーマン生活を送っていたが、2019年、シダックス時代の先輩である黒坂洋介さん(現・福井工大ヘッドコーチ)が監督を務める昌平(埼玉)でコーチを務めることになり、再び上京。39歳にして、指導者の道を歩むことになった。
「コーチで難しいのは、自分の考えを落とし込みすぎると、監督の意思とちょっとズレるというのがあったので、あまり教え込むという状況は少ないんですよね。逆に教えて崩してしまったら、『何してんだ!』と言われてしまいます。こちらから強制して教えるということは、今のスタンスでもしていないですね」
昌平は近年、埼玉県下で着実に力をつけている高校のひとつで、秋季県大会では2020年、2022年優勝と、浦和学院、花咲徳栄に見劣りしない好成績を残している。ただ、センバツを目前としながら、関東大会はいずれも初戦敗退。夏は2強の分厚い壁を突破することができず、これまで甲子園に出場したことはない。
「最後で勝ちきれないという甘さがあったと思います。僕が智辯時代に経験したのは、6月に追い込んで、そのなかで大会を迎えて調子を上げていくということ。もちろん厳しいことは今の時代なかなかできませんが、昌平ではそれはありませんでした」
「弱者の兵法」は、野村監督が最も得意とした戦術のひとつだ。ただ、5年もチームを指導しながら、甲子園へと導くことができなかった責任を感じ、2023年3月いっぱいで昌平を退職。埼玉県内の野球塾を手伝いながら、2024年には立教池袋中の軟式野球部でコーチを務めた。さまざまな指導経験を積み重ねていくうちに、野村監督の偉大さが身にしみてわかるようになってきた。
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