「木内マジック」を知り尽くす元常総学院監督・佐々木力が郁文館の指揮官として挑む甲子園への道 (3ページ目)
常総学院の監督時代、春夏通算6度の甲子園出場を果たした佐々木力氏 photo by Uchida Katsuharuこの記事に関連する写真を見る この言葉で平静を取り戻した。10回表、5番の中島彰一が試合を決める決勝3ランを放つなど4点を奪い、8対4で勝利。普通の公立校がスター軍団を打ち破る世紀の番狂わせで、茨城に初めて深紅の大優勝旗をもたらした。
「木内さんの采配はマジックではなく、ロジック(論理)だと思うんです。たとえば相手のシートノックを見て、3人もいるようなポジションは弱いところだからそこを狙わせたり、グラウンド状況を見てぬかるんでいるところがあったら、そこにセーフティーバントをやれとか、そういう見る目を子どもたちに浸透させて攻略していくんです。
プロとは考え方も指導の仕方も違い、高校生はこうあるべきという基準をつくって、それを生徒に全部説明する。プロの内野手だったら肩が強いので何歩かステップを踏んで投げても間に合いますが、高校生はワンステップで放らないと間に合いません。無駄なことはしないということを、取手二高の時から徹底していました」
【目標は2029年までに甲子園出場】
佐々木さんは日体大を卒業後、東洋大牛久(茨城)の監督を経て、1991年から常総学院のコーチ、部長として恩師を支えることになる。
そして2003年夏の甲子園決勝、東北(宮城)の2年生エースであるダルビッシュ有(パドレス)と相対した。ここでも、木内采配が実を結ぶ。
0対2で迎えた4回一死二、三塁。第1打席でまったくタイミングの合っていなかった4番の松林康徳(現・常総学院部長)はスクイズのサインを待ったが、木内監督は強攻の決断を下した。腹をくくった松林は、1ボール2ストライクからの4球目、勝負球の低に来た直球を叩きつけると、打球は高く弾み、三ゴロの間に三塁走者が生還。この回さらに2点を奪い、逆転に成功すると、最終的に4対2で夏初優勝。木内監督は自身3度目の日本一を花道に勇退(2007年秋から復帰)した。
「スクイズはなかなかスタートが切りづらいですし、外野まで打球を運べないとすると、夏の甲子園はグラウンドが硬いですから、ああいう策もありますよね。自分は木内さんから常総に引っ張られたので、最後まで監督とコーチで終わりたいというのがありました」
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