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大学から陸上部に入って箱根駅伝出場「超異色マラソンランナー」大石巧のMGC、ロス五輪に懸ける思い

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第2回 大石巧(スズキ)後編昨年12月の福岡国際マラソンで自己ベスト大幅に更新し、MGC出場権を獲得 photo by Nikkan Sport/Aflo昨年12月の福岡国際マラソンで自己ベスト大幅に更新し、MGC出場権を獲得 photo by Nikkan Sport/Aflo 箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

 第2回は、大石巧選手(スズキ・29歳)。競技経験ほぼゼロで入学して箱根駅伝出場を勝ち取った城西大時代を振り返った前編に続き、後編では実業団入り後の紆余曲折、そしてMGC、ロス五輪への思いを聞いた。

前編を読む>>>高校時代はサッカー部、陸上初心者の大石巧は箱根駅伝常連校に自ら電話をかけて売り込み

【大学卒業後も競技を続けるならマラソンしかない】

 城西大を卒業した大石巧は2019年4月、スズキに入社した。浜松市(静岡)に活動拠点を置く実業団チームだが、なぜスズキだったのだろうか。

「大学で陸上を始めて、4年間は箱根駅伝だけに集中という感じだったんですけど、もし卒業後も続けるならマラソンだなって思っていたんです。スズキは駅伝を走らず、マラソンだけという環境が魅力的だったのと、あとはやはり静岡のチームというのが大きかったです。僕は地元が好きなので」

 箱根駅伝では3年時に8区4位と好走した。駅伝も走れる力を持っているが、なぜマラソンだったのか。

「これから日本代表を目指すのであれば、より長い距離のほうがチャンスはあるだろう、やるならマラソンだなと考えたんです。大学時代に距離走に取り組んだ際も、他の選手より走れていましたし、自信もありました」

 スズキの監督を務めるのは、2012年ロンドン五輪マラソン代表の藤原新である。大石が入社するのと同じタイミングで監督に就任している。大石はすぐにでもマラソンを走りたかったが、藤原からは「待った」がかかった。

「自分は1年目からマラソンを走りたかったんですけど、藤原さんに『ちゃんと戦うためには、もう少しトラックやハーフ(マラソン)のタイムを伸ばしていかないと。今、マラソンに出ても"走るだけ"になってしまう。ちゃんと準備してからにしよう』と言われました」

 そこで大石は、入社3年目となる202112月の福岡国際マラソンへの出場を目標に定めた。ところが、コロナ禍になり、参加資格をクリアするためのレースが次々となくなってしまい、間に合わせられなかった。それでも、同月開催の防府読売マラソンに出場できることになった。初マラソンだったが、2時間1309秒で8位入賞を果たした。

「防府の時は、まずはマラソンを経験するということと、次のレースへつながる参加申し込みタイムを持つという目的で、トラックからの直の流れで1カ月くらいしかマラソン練習をしませんでした。ただ、その練習自体はよくできていたんです。うまくいけば走れるかなと思いましたが、甘くなかったですね。十分な脚づくりができていなかったので、後半はキツかった。マラソンはちゃんと準備しないとダメだなということを経験できたのが収穫でした」

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著者プロフィール

  • 佐藤俊

    佐藤俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

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