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【マラソン】高校時代はサッカー部、陸上初心者の大石巧は箱根駅伝常連校に自ら電話をかけて売り込み

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第2回 大石巧(スズキ)前編

3年時に箱根初出場を果たすと、8区で区間4位と好走した photo by Aflo Sport3年時に箱根初出場を果たすと、8区で区間4位と好走した photo by Aflo Sport 箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

 第2回は、大石巧選手(スズキ・29歳)。高校時代はサッカー部で左サイドバック。陸上競技経験ほぼゼロで城西大に進み、3、4年時には箱根駅伝出場を勝ち取った異色の経歴の持ち主だ。自身6度目のマラソンとなる昨年12月の福岡国際マラソン(2時間08分51秒)ではMGC出場権も獲得。インタビューの前編では、驚きだらけの競技転向の経緯を振り返ってもらった。

【ジュビロ磐田のファン、将来の目標はJリーガー】

「高2の終わりまでは、全国高校サッカー選手権に出るのが目標でした」

 大石巧は袋井高(静岡)時代、バリバリのサッカー部員だった。

「サッカーは6歳から始めました。静岡はサッカーどころ。周囲もみんなサッカーをしていたので、僕も当たり前のように始め、将来の目標はJリーガーになることでした。地元のジュビロ磐田のファンで、よく試合を観に行き、いつかここでプレーしたいなと思っていました」

 ポジションは左サイドバック。だが、磐田のサックスブルーのユニフォームに憧れていたものの、静岡県はサッカーのレベルが高い。強豪校と試合をするたび、自分の力不足を思い知らされ、先が見えてくる。高2の終わり、大石はプロサッカー選手になる夢をあきらめ、進学に意識を向けた。その際、サッカーの代わりに夢中になれるものとして思いついたのが箱根駅伝だった。

「小学生の頃、いとこが箱根駅伝に出場したんです。以降は毎年、箱根のテレビ中継を観ていたこともあって、たくさんの人が応援して盛り上がっていたことを思い出し、『自分も箱根を走ってみたいな』と。高校の陸上部にも、自分よりも長距離で速い人がいなかったので、本気で目指せばどのくらいやれるのか、挑戦してみたいと考え、高3になってから箱根駅伝を目指すことにしました」

 サッカー部の仲間には「選手権の予選を終えたら、箱根を目指す」と伝えた。突拍子もない挑戦だが、仲間たちは箱根を目指すことの意味をあまり理解していなかった。「お前は足が速いし、いけるんじゃね?」と笑顔で背中を押された。

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著者プロフィール

  • 佐藤俊

    佐藤俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

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