【プロレス】藤原喜明が語る「プロレスの神様」カール・ゴッチのすごさ アメリカでの直接指導が「関節技の鬼」のベースを作った
関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(8)
(連載7:アントニオ猪木がパキスタンで油まみれの男と対戦 藤原喜明が振り返る猪木の強運>>)
プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。
そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第8回は、人生の師と仰ぐ「プロレスの神様」カール・ゴッチの指導について語った。
藤原喜明(右)が指導を受けた「プロレスの神様」カール・ゴッチ photo by 木村盛綱/アフロこの記事に関連する写真を見る
【ゴッチの関節技を見て「すごい! この人は本物だ」】
アントニオ猪木の付き人を務め、モハメド・アリ戦など重要な試合ではスパーリングパートナーに抜擢されるなど、精鋭がそろった新日本プロレスのなかで藤原の実力は一目置かれる存在になっていた。その礎は道場で磨き続けた関節技の強さにあったが、その技術を習得する熱意に火をつけたのがカール・ゴッチだった。
「俺が思うに、プロレスの世界では、先輩も後輩も関係なくメインイベンターを務めて、全国どこに行っても客を集める人間はみんな天才だと思ってるよ。だけどな、そのなかでも俺が思う"天才のなかの天才"がふたりいるんだ。ひとりは猪木さん。そして、もうひとりがゴッチさん。あのふたりは別格だよ」
藤原がそれほどまでに敬愛するカール・ゴッチは、1924年8月3日にベルギーのアントワープで生まれた。レスリングに没頭し、48年のロンドン五輪に出場。その実力を引っ提げ、25歳でプロレスデビューした。
1961年4月に、日本プロレスの「第3回ワールドリーグ」で初来日。群を抜く実力とテクニックは、レスラーの間でも恐れられた。力道山亡きあとの68年には日本プロレスのコーチに就任し、猪木などにレスリングの技術を指導する。猪木は、ゴッチの真摯なプロレスへの姿勢に共鳴し、新日本プロレスの旗揚げ戦で対戦した。
猪木は日本プロレス時代と同じように、新日本の野毛道場でレスラーへのコーチを求めた。さらに、外国人レスラーの招聘を担当するなど、リング内外で団体を支える存在となった。「プロレスの神様」と称されるゴッチの技術に心酔したのが藤原だった。
1 / 4







































































