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【プロレス】藤原喜明が語る「プロレスの神様」カール・ゴッチのすごさ アメリカでの直接指導が「関節技の鬼」のベースを作った (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

「俺が新日本に入って、しばらくしてゴッチさんがコーチに来たんだ。その時、俺はヒザを痛めていて練習できなくてな。みんなの食事を作る"ちゃんこ番"だったんだよ。

 それで、こっそり道場に行ってドアの隙間から練習をのぞいてたら、ゴッチさんに『のぞいているのは誰だ! 男はそういうことをするもんじゃない。入れ!』と言われた。俺が『ヒザを痛めていて、できません』って答えたら、ゴッチさんは『わかった。じゃあ見てろ』って」

 初めて見たゴッチのスパーリングは、それまで藤原が体験した内容とは違っていた。

「ゴッチさんは、手でも足でも関節技を極める角度について、『ここは何度に曲げると極まる』とか、ちゃんと理屈で教えてくれたんだよ。俺は工業高校の機械科で応用力学と機械工作を学んだ。だから、高校時代に学んだテコの原理とか、すべてが関節技に通じてな。ゴッチさんの教えを聞いて『なるほどな。すごい! この人は本物だ』と感激したよ。関節技が面白いと思ったのはそれからだ。すべてはゴッチさんのおかげなんだ」

【ゴッチの自宅で指導を仰ぐも「来たのは間違いだった」】

 以来、藤原は道場で関節技を磨き続け、その技術と強さは、新日本の最強伝説を支えるベースとなった。メインイベンターには抜擢されなかったが、「関節技の鬼」などと評され、レスラー仲間やファンにも確かな実力を認められる存在となった。

 ゴッチが来日した時は指導を仰いだが、デビューから7年が経った30歳の時、米フロリダ州タンパにあるゴッチの自宅を初めて訪れた。

「30歳になった時に、猪木さんが『藤原、お前は一生懸命やっているから、何か褒美をやろう。何が欲しいんだ?』と言われたんだ。俺は『ゴッチさんのところに行かせてください』って即答したよ。猪木さんも『よし、行ってこい』って許可してくれてな。

 うれしかったなぁ~。試合には出ないし、ゴッチさんの家で練習するためにアメリカに行ったのに新日本は給料を払ってくれてな。それでタンパへ行ったんだ」

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