【プロレス連載】スタン・ハンセンのリング内外の顔を、元東スポ記者・柴田惣一が振り返る 長州力にラリアートを不意打ちした秘話も明かす (3ページ目)
――入場時にハンセンさんの振り回すブルロープに当たった男性が、激怒して謝罪を要求したというエピソードがあります。試合後、ハンセンさんは男性に対して紳士的な態度で対応し、その男性も「あんなに優しい人が、わざとブルロープで人を殴るはずがない」と、逆にハンセンさんの熱烈なファンになったと。
柴田:そうですね。試合から離れれば、あんな紳士はいません。
【「リキ・ラリアット」が生まれる前、長州に見舞った一撃】
――ハンセンの代名詞であるウエスタン・ラリアートは、多くのレスラーに影響を与えましたね。
柴田: ええ。長州力がリキ・ラリアットを使い始めた時も、周囲は驚きました。当時のプロレス界では、他の選手の技を使うことは遠慮するのが暗黙のルールでしたから(長州は「ラリアート」と「ラリアット」は別の技と主張)。
長州がラリアットを使う前、あるエピソードがあるんです。ハンセンがある試合中に、セコンドでリングサイドにいた長州にウエスタン・ラリアートを食らわせたことがあったんです。これには裏話があって。当時、藤波(辰爾)のファンだった女性がハンセンに「長州のこと、やっちゃって」とお願いして、ハンセンは「OK、OK」と笑ったそうなんですよ。それで、本当にやってくれた。長州はセコンドにつきながら、鉄柱に身を隠すようにしていたのに、ハンセンに突進されてびっくりしていました。
もしかしたらそれが、長州がラリアットを使うきっかけになったんじゃないか、と考えると面白いですよね。
――柴田さんにとって、スタン・ハンセンとはどのような存在でしたか?
柴田: 彼は本当に、プロレス界で最も人気のある外国人レスラーのひとりだと思います。リング上では圧倒的な存在感を放ちながら、リングを降りると意外な素顔を見せる。笑顔は人懐こく愛嬌がある。そのギャップが、多くのファンを魅了したのでしょう。引退後も、彼のウエスタン・ラリアートは多くの選手に受け継がれた。今もなおプロレスファンの心に強く残る、不滅のレスラーです。
(連載21:越中詩郎の禁断の新日本移籍にジャイアント馬場はどう反応した?「侍戦士」と同級生の元東スポ記者が裏側を明かす>>)
【プロフィール】
柴田惣一(しばた・そういち)
1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として各メディアで記事を掲載。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。
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