【女子バレー】クインシーズ刈谷の北川美桜を育てた、周囲の人間とのやりとり 先に日本代表入りした秋本美空からは「待ってる」
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(8)
クインシーズ刈谷 北川美桜 前編
(連載7:三留汐利の原動力は「母です」 クインシーズ刈谷を選んだ理由は地元愛>>)
【父も元日本代表】
「周りに恵まれているんです」
クインシーズ刈谷のミドルブロッカー、北川美桜(19歳)は、弾むような声で言う。明るく、朗らかな空気を漂わせるが、彼女自身が持つパーソナリティーが、それらを引き寄せているのかもしれない。
松山東雲高校からクインシーズ刈谷に入団した北川(写真/SVリーグ)この記事に関連する写真を見る
今年8月、U21世界選手権。女子日本代表は決勝まで勝ち進んだが、イタリア相手にフルセットの末に敗れた。チームで「世界一」を目標に掲げていただけに、世界2位でも涙を流し、ともに悔しがった。
「(SAGA久光スプリングスの井上)未唯奈さんと同部屋だったんですけど、ミドルの4人は合宿からめっちゃ仲がよくて。先輩の未唯奈さん、(NECレッドロケッツ川崎の伊藤)一葉さん、同期の(デンソーエアリービーズの柳)千嘉と『みんなで頑張ろう』って励まし合いました。
みんなライバルでもあるんだけど、ほかのどのポジションよりも仲がよかったと思います! 最後の決勝の前も、ひとつの部屋に集まって決起して......心の底からみんなが大好きでした」
北川にとって、コートには敵も味方も、先輩も後輩もない。そこに敬意と愛情があるから、誰とでも絆を紡げるのだ。
愛知県名古屋市で生まれた北川は、バレーボール選手としての運に恵まれていた。父・北川佑介は元日本代表で、リーグでは何度もブロック賞を取り、ミドルブロッカーでベスト6にも選ばれている。バレー選手になるための遺伝子と環境が整っていた。
「バレーを始めたのは、お父さんがやっていたから。小さい頃、お父さんが現役の時には応援に行っていたらしいです。あまり記憶にないですけど、当時の写真ではトレフェルサ(父が所属していた豊田合成トレフェルサ/現ウルフドッグス名古屋のキャラクター)のシールをおでこに張っていました。
小さい頃からバレーは身近にあって、小学校2年生でお父さんの知り合いの娘さんが通うチームに入ったんですが......。すぐに試合ができると思っていたので、練習は楽しさを感じなかったです(笑)」
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。



















































